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歴史散歩!
司馬遼太郎が歩いた“赤坂”〜『街道をゆく』赤坂散歩から〜

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【7】赤坂の閑寂

司馬が“赤坂”を取り上げた理由

「街道をゆく」のシリーズで、東京エリアは赤坂のほか、本所深川、神田、本郷しかありません。大阪で生まれ育った司馬にとって、東京は今ひとつ馴染めない面があったのかもしれません。

〈東京について書きたいが、まず巨大すぎる。それに、本所・深川などは風土性がつよすぎて、にわかに手におえない(その後、司馬は取材し執筆しています)。また、山ノ手とよばれるあたりも変遷が重層している。(中略)そこへゆくと赤坂はいい。〉

と司馬はいい、その理由として、東京に用があるたびに赤坂台に泊まっていたという馴染みのほかに、江戸期の赤坂は開発がいちばん遅れた地域だったことをあげています。

〈…江戸初期をすぎるころまで、赤坂台のあたりは人煙がまれだったという気楽さもある。(中略)…江戸中期ごろからようやく台上に大名・大旗本の屋敷ができたようで、その上、江戸時代、台上には町屋がなく、このためいわゆる江戸文化が希薄だった。そういうあたり、非東京人の手には負えやすいのである。〉

そして、かつては地価も安く、さびしい地域だった、赤坂の街を司馬は歴史を掘り下げながら散策します。


  • 東京メトロ・赤坂駅から地上出口へ。華やかさを秘めた階段になっています。

  • 地上25階建ての赤坂溜池タワー。周辺には高層ビルが建ち並びます。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

ほんとうに赤坂はさびしい所だった?

もちろん、司馬が歩いた当時、赤坂の地価は決して安いものではありませんでした。高級住宅地として閑静なたたずまいをみせる一方、落ち着いた大人の社交場でもある街でした。
しかし、司馬はいかに明治時代の赤坂の地価が安かったかを記します。明治35年の地価表を取り上げ、一番高い地区の日本橋が1坪29円55銭8厘に対して、赤坂は3円台で、10分の1に近いのです。
それには理由があって、当時の日本橋には、三越や日本銀行、三井銀行本店のほか、株式や米殻の取引所、魚市場までそろい、東京における資本主義の中心地でした。それに対して赤坂は、

〈…しずかなものだった。赤坂離宮や青山墓地、それに陸軍の兵営その他があるくらいで、さわがしいものはなにもない。あとは、住宅街だけだった。つまりは、当時、赤坂で商売をするということになると、せいぜい魚屋、八百屋、豆腐屋といった近所相手の小商売だけだったろうから、地価も安かったのである。〉

それがいまや、都内でも有数のにぎわいをみせるエリアとなっています。司馬が散策した後も、大きな再開発が相次ぎ、TBS本社跡地(赤坂5丁目)に「赤坂サカス」が、防衛庁本庁舎跡地(赤坂9丁目)に「東京ミッドタウン」が登場し、一躍、若い層にも注目されるスポットになっています。


  • 赤坂サカス。平成20年3月のオープン以来、東京の新たな名所になっています。

  • 赤坂サカス周辺は、かつて松平安芸守(安芸広島藩)の中屋敷があったところ、戦前までは近衛歩兵第3連隊の営舎が置かれていました。

  • 東京ミッドタウン。防衛庁跡地を再開発し、文化の薫りあるお洒落なスポットに変わりました。かつては松平大膳大夫(長門萩藩)の中屋敷があったところです。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

赤坂サカス
所在地 赤坂5丁目
東京ミッドタウン
所在地 赤坂9-7

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