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司馬遼太郎が歩いた“赤坂”〜『街道をゆく』赤坂散歩から〜

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【5】乃木坂

乃木坂で、乃木さんを思い浮かべる

外国では都市の名や街路の名、駅名、空港名などに、歴史的人物の名をつける例はよくあるが、日本では人名は馴染まないという司馬が、例外としてあげたのが、赤坂にある「乃木坂」です。

〈…赤坂には、「乃木坂」がある。この名称は、明治の軍人にして赤坂の乃木神社の祭神である乃木希典(のぎまれすけ 1849〜1912)からとられた名であることはまちがいない。といって、解釈の仕方次第では人名ではなく、神名であるともいえる。(中略)…邸趾の隣接地に乃木神社(社格は府社)が建立されたとき、当時の赤坂区会の議決で「乃木坂」と称されるようになった。という事情からすれば、人名ではなく、神社名もしくは神名ということになる。地下鉄の“乃木坂駅”も同様にちがいない。〉

しかし、乃木坂ときけば、歴史的存在として乃木さんを思い浮かべるとして、司馬は乃木の半生を、エピソードを交えつづっていきます。


  • 乃木坂。乃木神社の前から、乃木坂陸橋方面をみたあたり。

  • 乃木坂陸橋の上から見ると、乃木坂のぐあいがよくわかります。左側に、乃木公園や乃木神社があります。

  • 乃木神社の前におかれた石碑。幽霊坂が乃木坂に改められた由来が記されています。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

乃木坂
所在地 赤坂6-11、9-6のあいだ

旧乃木邸や乃木公園を散策

東京メトロ千代田線・乃木坂駅からすぐそばに、旧乃木邸があり、当時の建物がそのまま残されています。隣接して乃木公園や乃木神社もあり、散策には最適ですが、司馬は乃木の邸宅をこう記しています。

〈明治三十五年、希典は休職中の陸軍中将だったが、はじめてこの屋敷を自分の設計によるものに建てかえた。三十代の終りにヨーロッパに行ったとき、フランスの連隊本部をみてその簡素さと機能のよさに感心し、当時のスケッチをもとにして建てさせたのである。要するに、木造洋館の事務所(連隊本部)を縮小したようなもので、住むのに快適ではなさそうである。ただし、自ら報じることを禁じていたこの人にとって、よくその思想を表現した建物といっていい。〉

旧邸宅跡や公園内はきれいに整備され、元乃木家菜園をはじめ四季折々の風情を楽しむことができます。隣接する乃木神社の境内は木々に囲まれ、夏場でも日差しをさえぎり、ひんやりとして涼を感じさせます。
明治天皇の崩御により、乃木希典将軍夫婦は殉死し、その忠誠心に感銘した多くの国民の想いが乃木神社創建のきっかけとなるのですが、乃木神社を訪ねても司馬はさらりとふれる程度で、つぎの記述で締めくくります。

〈私どもは乃木邸を出て、それに隣接する乃木神社に詣り、鳥居を出て、乃木坂に立ってみた。江戸時代、この坂は“幽霊坂”とか、“膝折(ひざおり)坂”などとよばれていたが、大正以後、乃木坂にあらためられた。日露戦争のとき、希典はこの坂をのぼって、ロシア軍のいる遼東半島にむかったのである。〉

乃木希典の生涯について、司馬は小説『坂の上の雲』や『殉死』などで詳しく描いていますが、その評価は概してきびしく、とくに戦略家・将軍としての能力には疑問を投げかけるものでした。


  • 旧乃木邸の正面入り口。外苑東通り沿いにあります。

  • 旧乃木邸。フランスの連隊本部を参考にして建てられました。

  • 乃木邸のそばには「乃木大将と辻占い売りの少年像」があります。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

乃木神社
所在地 赤坂8-11-27
旧乃木邸
所在地 赤坂9-3-21

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