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歴史散歩!
司馬遼太郎が歩いた“赤坂”〜『街道をゆく』赤坂散歩から〜

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【4】高橋是清

青山通りを歩く

つづいて、司馬は青山通りを歩きます。

〈赤坂の豊川稲荷別院から、西へ歩いてみた。道は、青山通り(国道246号)である。いまは青灰色の大路が遠くへ延び、両側の都市秩序が美しく整っている。江戸時代までは、ごく大ざっぱに大名地が占めていた。〉

青山通りの道幅は40mもあります。昭和39年のオリンピック開催に際して、大幅な道路拡張がなされたのです。それに呼応するかのように道路沿いにビルが建ち並ぶようになります。しかし、赤坂御用地のある側はそうしたビル建築とは無縁で、いまも豊かな緑地を残しています。そのコントラストを司馬は〈都市秩序が美しく整っている〉といったのかもしれません。
赤坂御用地側の歩道は路幅もあるので、緑地に沿って散歩やジョギングを楽しむ人が絶えません。約3.3キロでひと周りする御用地は、格好のランニングコースとなっています。


  • 歩道橋上からみた青山通り。手前の建物が赤坂地区総合支所です。

  • 赤坂御用地側はきれいな緑地がつづき、散歩やジョギングには最適です。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

高橋是清翁記念公園の銅像は二代目!

つぎに司馬は、「高橋是清翁記念公園」に立ち寄ります。
高橋是清(1854〜1936)は名財政家であり、その風貌と波乱の生きざまから「ダルマさん」と呼ばれ人気がありました。港区の芝で生まれ育ち、「2・26事件」により赤坂の自邸で生涯を閉じますが、高橋是清翁記念公園はそのかれが晩年を過ごし最後を迎えた場所なのです。
司馬はそんな是清の半生を紹介しつつ、公園内にある高橋是清の銅像にちょっぴり苦言を呈します。

〈その高橋邸趾の公園を歩いて、やがて樹林の奥に入ると、石段が十段ほど小高くなった土壇があって、土壇の上に羽織袴の小さな老人は腰をおろしてすわっていた。むろん、銅像である。是清は肉体的偉容を感じさせる人でないからこそ魅力的なのだが、それだけに、ほとんどの日本人と同様、銅像にはむかない。思いもよらず銅像にされて、気の毒のようなものである。(中略)銅像をみて、ただ一つ感じ入ったのは、手に書類をもっていることだった。書類は、この人の象徴ともいうべきものだった。〉

と述べ、最後に司馬は〈…かれが明治国家と明治憲法を守ろうとした最後の人であったことはまちがいない。〉と是清の功績をたたえます。
日本人に銅像はむかないと言い切った司馬ですが、じつは現在の銅像は二代目にあたります。最初の銅像は、開園直後の昭和16年5月に除幕されており、羽織袴姿ではなく、洋服姿でした。肘掛け付きのイスに深く腰掛け、左手に新聞、右手には眼鏡をもち、記録によれば「高さ5尺(約150センチ)」(『赤坂区史』)とあります。
現在の銅像は昭和30(1955)年に建てられたもので、制作者はいずれも彫刻家の斎藤素巖(そがん)氏です。服装や姿勢は異なりますが、当時の人びとに愛された「ダルマさん」の風貌をいまに伝えています。


  • 高橋是清翁記念公園。高橋是清が晩年を過ごし最後を迎えた場所です。

  • 是清の銅像。昭和30年に建てられた二代目で「ダルマさん」の風貌をいまに伝えています。

  • 羽織袴姿で、左手にはたしかに書類をもっています。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

高橋是清翁記念公園
所在地 赤坂6-10-39

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