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歴史散歩!
司馬遼太郎が歩いた“赤坂”〜『街道をゆく』赤坂散歩から〜

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  5. 乃木坂
  6. ソバと穴
  7. 赤坂の閑寂
  8. 坂のあれこれ

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【1】最古の東京人

溜池交差点にある、溜池発祥の碑

司馬遼太郎『街道をゆく』は、昭和46(1971)年より「週刊朝日」で始まった紀行作品で、連載1147回(25年間)、日本国内61街道、海外11街道の計72街道を紹介しています。その一つが「赤坂散歩」ですが、本来の“街道を視点”とする書き方ではなく、番外編的なそぞろ歩きの趣をもつ内容となっています。 司馬は、赤坂散歩を始めるに際して、自身の赤坂地図のイメージの中心は溜池にあるとして、ある会社のビル屋上からかつての“池”を眺めます。

〈ところが上から見ても、眼下は単にビルの谷間というだけで、溜池がどのように凹んでいるか、十分に実感できない。さらには、溜池のむこうにせりあがっているはずの赤坂台も、そばの高層ビルが視界をさえぎっているために、百数十年前の景観を網膜の奥に再現することはできないのである。…〉
溜池は江戸時代のはじめ、江戸城の防備をかねた外堀兼用の上水源として作られ、水道の発祥地ともなりました。徳川秀忠時代にはコイやフナを放し、ハスを植えて、上野の不忍池に匹敵する江戸の名所となっていたのです。

司馬はその面影を感じようとしますが、できませんでした。じっさい地下鉄・溜池山王駅をでて溜池交差点に立っても、かつてここに溜池があったとは想像すらできないでしょう。わずかに交差点内に「溜池発祥の碑」があり、そこに溜池の由来が記されています。


  • 『街道をゆく 33』。司馬遼太郎による短編紀行集ですが、43冊目で作者急逝により未完。単行本・文庫版いずれも朝日新聞出版で刊行。

  • 溜池交差点。上を首都高速が走り、外堀通りと六本木通りが交差し、交通量は多い地点です。

  • 「溜池発祥の碑」。平成9(1997)年、溜池山王駅開業を記念して建立されました。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

溜池発祥の碑
所在地 赤坂1-5

司馬遼太郎が好きだった、霊南坂を歩く

司馬は二十年来、東京に用があると、いつも赤坂台にあるホテルに宿泊していました。つまり、赤坂に少なからず土地感があったわけで、それが「赤坂散歩」を書く理由でもあったようです。

〈ホテルオークラとアメリカ大使館の白い塀のあいだを、霊南坂が急勾配でかたむいている。私はそこをくだるのが好きで、塀ぞいの歩道をくだりつつ、江戸時代、いま塀のむこうにあるアメリカ大使館が、常火消の御役屋敷であったことを思ったりする。…〉

溜池山王駅からアメリカ大使館前にでて、霊南坂を上ってみます。なかなかの急勾配です。ただし、大使館周辺は警備が厳しく、大使館沿いの白い塀のある道は通れません。警備員も各所に待機し、ものものしい感じで、ゆったり落ち着いて霊南坂を散策するという雰囲気ではありません。ちょっと残念ですね。


  • 霊南坂。アメリカ大使館沿いの白い塀のある道は、警備上の理由から通れなくなっています。

  • 霊南坂でもホテルオークラ沿いの黄土色の塀がある道。上りきると大倉集古館があります。

  • 大倉集古館は霊南坂のほか、「江戸見坂」や「汐見坂」と3つの急坂の上の平坦地に建っています。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

ゆったり過ごすなら、大倉集古館へ

霊南坂をホテルオークラ沿いに上がっていくと大倉集古館があります。ここは司馬も歩いた道でした。

〈右手のアメリカ大使館の白い塀に対し、左手は清朝建築によくみられるような黄土色の堅牢な塀で、好対照をなしている。明治時代、ここに豪商大倉喜八郎(1837〜1928)が屋敷をかまえた。この長い塀は、おそらく大正時代、かれの中国趣味によって築かれたものではないかと想像した。その塀にそって坂をのぼりきると「大倉集古館」がある。〉

司馬が、〈…重量感のある建物ながら異風の観がないでもない。当時のことばでいう“シナ趣味”のもので…〉と記した大倉集古館ですが、平成2(1990)年に中国の古典様式を生かした名作として、東京都の歴史的建造物に選定され、平成10年には国の登録有形文化財となっています。館内も静かで、ゆったりとした時間をすごすことができます。


  • 大倉集古館。 大正元(1917)年に開館した日本最初の民間美術館です。

  • 建物は中国の古典様式を生かした名作として、国の登録有形文化財となっています。

  • 入り口近くにある仁王立像。均整のとれた体躯や力強い面貌表現をみせています。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

大倉集古館
所在地 虎ノ門2-10-3

いまなおつづく、最古の東京人?

司馬は、かつてこの辺りを散歩して小さな寺に遭遇したことを思いだし、編集者とともに巡ります。そして、民家然とした3つの小寺をみつけ、最後に「澄泉寺(ちょうせんじ)」を訪ねます。

〈それらの奥に、小さな鐘楼をもつ寺があって、「真宗高田派澄泉寺」とあり、さらにゆくと古い墓地があり、墓地のむこうは、そぎ立った崖だった。私の記憶にある寺にまぎれもなかった。(中略)みると、住職の表札が、「桜田了正」とある。かつて江戸市街以前の桜田村にいたというしるしのような苗字である。ともかくも、東京でもっとも古い東京人にちがいない。〉

じっさい歩いてみると、アメリカ大使館の裏側にあたり、霊南坂教会正面の小径を入った奥に、「正福寺」「常国寺」「林誓寺」とともに「澄泉寺」がありました。住職の表札をみると、代が変わり名前はちがっていましたが、やはり“桜田”の姓であり、作者のいう「最古の東京人」の系譜がいまなおつづいていることがわかります。


  • 正福寺。隣接して林誓寺など同じく真宗高田派のお寺があります。

  • 澄泉寺。幕末の儒学者・林鶴梁の墓があることで知られています。

  • 澄泉寺の鐘楼。小さな鐘楼ですが、全体が三角錐で現代アートのようなユニークさです。

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

澄泉寺
所在地 赤坂1-11-3

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