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【3】文学散歩・麻布十番〈小林多喜二、島崎藤村〉
 
◆称名寺の一角から出発◆
 2008年は小林多喜二の代表作「蟹工船」が読み直され、“蟹工船ブーム”を生みますが、多喜二没後75周年とも重なりました。
 多喜二は明治36(1903)年、秋田県の生まれ。小樽高商(現小樽商大)在学中より創作活動を始め、「蟹工船」や「不在地主」で作家として認められます。その後、日本プロレタリア作家同盟の書記長を務め、日本共産党に入党しますが、昭和7(1932)年の文化団体への大弾圧を機に、地下活動に入ります。当時の特高(特別高等警察)の捜査から逃れるためで、最初の潜伏先は麻布区東町の称名寺内にあった小さな家の1室でした。ここで伊藤ふじ子との結婚生活も始まり、多喜二の本格的な地下活動がスタートしたのです。
網代公園内にある旧町名の案内板。網代町、一本松町、坂下町、山元町、東町、西町など麻布を冠した町名があり、現在と昭和20年代の地図の比較ができます。 称名寺。現在は南麻布1丁目。綱代公園から仙台坂方面にむかい、通りを抜けると、立ち並ぶビルの合間の、奥まったところに称名寺はあります。 多喜二の地下生活はこの寺の一角にあった家から始まりました。
網代公園内にある旧町名の案内板。網代町、一本松町、坂下町、山元町、東町、西町など麻布を冠した町名があり、現在と昭和20年代の地図の比較ができます。 称名寺。現在は南麻布1丁目。綱代公園から仙台坂方面にむかい、通りを抜けると、立ち並ぶビルの合間の、奥まったところに称名寺はあります。 多喜二の地下生活はこの寺の一角にあった家から始まりました。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆称名寺◆
所在地 南麻布1-6-31
◆東町小学校とゆかりの作家◆
 その通りをさらにすすむと、大通りに出る手前の右側に東町小学校があります。かつては善福寺の門前町、“東町”の旧町名の名残が校名にみられます。このほかにも、西町スクール、本村小学校など学校名にかつての旧町名をみることができます。大正2年開校の東町小学校と縁の深い作家としては、永井荷風と並ぶ日記作家として知られる高見順(たかみ・じゅん)や、直木賞作家の山口瞳(やまぐち・ひとみ)らがいます。
港区立東町小学校。作家高見順や山口瞳らが学んだ小学校です。
港区立東町小学校。作家高見順や山口瞳らが学んだ小学校です。    
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆東町小学校◆
所在地 南麻布1-8-11
◆志賀直哉坂を敬愛していた多喜二◆
 当時の麻布十番界隈は路地も複雑に入りくみ、潜伏先としては格好の街であったようです。多喜二は、称名寺内の家から麻布区新網町へ移り、さらに麻布区桜田町(現・西麻布3丁目)の一軒家と次々とアジトを変えていきます。
 しかし、昭和8(1933)年2月20日、赤坂福吉町の連絡場所で逮捕され、同日築地署で拷問により非業の死を遂げます。こうして地下生活を始めてから非業の死を遂げるまでの10か月間、麻布十番界隈の隠れ家を転々としながら、多喜二は命懸けで創作活動を続けたのです。
 多喜二の死後、地下生活の体験を元に執筆した「党生活者」が、遺作として発表されました。多喜二が敬愛していた志賀直哉も、多喜二宛て書簡2通と母セキへの弔文を発表・掲載しています。
現在の麻布十番通り。昭和初期の頃は200余軒の店が並び、夜には50軒ほどの露店が出店、映画館・劇場・寄席などもあって活気あふれる街でした。 暗闇坂、一本松坂、大黒坂が交わる交差点。麻布一帯を歩くとあらためて大小さまざまな坂道があることを実感します。 古来植え継がれてきた一本松。松の下に由来を記した石碑があります。青々と茂る一本の松を、多喜二の目にはどのように映ったでしょうか。
現在の麻布十番通り。昭和初期の頃は200余軒の店が並び、夜には50軒ほどの露店が出店、映画館・劇場・寄席などもあって活気あふれる街でした。 暗闇坂、一本松坂、大黒坂が交わる交差点。麻布一帯を歩くとあらためて大小さまざまな坂道があることを実感します。 古来植え継がれてきた一本松。松の下に由来を記した石碑があります。青々と茂る一本の松を、多喜二の目にはどのように映ったでしょうか。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆島崎藤村(しまざき・とうそん)旧居跡◆
 昔ながらの町名を残す麻布狸穴(まみあな)町や麻布永坂町ですが、その近くに島崎藤村旧居跡があります。
 明治5(1872)年生まれの藤村は、9歳で上京し明治学院(現・明治学院大学)に入学します。のちにこの学校を舞台に「桜の実の熟する時」を書き、同校の校歌も作詞しています。卒業後は各地で教鞭をとりますが、33歳のとき執筆中の「破戒」を抱えて再び上京。しかし生活は貧窮し、妻子を次々に亡くしてしまいます。
 その後、渡仏し帰国してからは港区内(芝二本榎西町、西久保桜川町2番地)を転々とし、大正7(1918)年、飯倉片町の借家にようやく落ち着き、ここで18年間を過ごします。代表作「夜明け前」もこの家で生まれました。
植木坂の坂下。坂を上った先にブリヂストン美術館永坂分室があります。 島崎藤村旧居跡。建物の横に旧居跡と記した石碑が設置されています。
植木坂の坂下。坂を上った先にブリヂストン美術館永坂分室があります。 島崎藤村旧居跡。建物の横に旧居跡と記した石碑が設置されています。  
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆島崎藤村旧居跡◆
所在地 麻布台3-4-17
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