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【2】文学散歩・六本木〈志賀直哉、永井荷風〉  
 
◆志賀直哉(しが・なおや)居住の跡◆
 六本木駅から俳優座劇場を通り過ぎ、三河台公園の近くに「志賀直哉居住跡」があります。「小説の神様」とも称された志賀直哉は、14歳からの15年間、多感な青春時代をここで過ごしました。
 屋敷は1682坪という広大な敷地内にあり、旧地名では麻布三河台町。いまは大手企業の社宅やマンションが建てられています。現在も公園やマンションに“三河台”の名が冠されています。その辺りを道路沿いにぐるりと歩くと、反対側には東京ミッドタウンがあり、道路を隔ててきれいに整備された檜町公園が広がります。
 直哉は、この屋敷で処女作である「或る朝」をはじめ、「網走まで」「正義派」「大津順吉」など初期の作品を書きました。
大手企業の社宅内にある「志賀直哉居住の跡」の掲示板。直哉は学習院出身で、実業家であった父・直温(なおはる)の成功で暮らしは裕福でした。 志賀直哉の居住跡に建てられた大手企業の社宅。 社宅前に広がる檜町公園。隣接して東京ミッドタウンが建っています。
大手企業の社宅内にある「志賀直哉居住の跡」の掲示板。直哉は学習院出身で、実業家であった父・直温(なおはる)の成功で暮らしは裕福でした。 志賀直哉の居住跡に建てられた大手企業の社宅。 社宅前に広がる檜町公園。隣接して東京ミッドタウンが建っています。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
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◆志賀直哉居住の跡◆
所在地 六本木4-3-13
◆自転車好きだった、志賀直哉◆
 港区は坂の多い地ですが、ここを颯爽(さっそう)と自転車で疾走していたのが、若き日の直哉でした。「自転車」という作品の中で、 「急な坂を登り降りするのは却々(なかなか)に興味のある事で、今の登山家が何山何岳を征服したというように、私は東京中の急な坂を自転車で登ったり降りたりする事に興味を持った」とあり、 「学校の往復は素(もと)より、友達を訪ねるにも、買い物に行くにも、いつも自転車に乗って行かない事はなかった」
 と書いています。当時の自転車は高級品で、庶民には高嶺の花でしたが、富裕層の若者の間では一種のスポーツとして流行していました。その一人が直哉で、付近の急勾配の坂の上り下りを自転車で楽しんでいました。
霊南坂は、ホテルオークラとアメリカ大使館の間にある、やや急な坂です。 江戸見(えどみさか)坂は、勾配率は20%と都内でも指折りの急坂。直哉も作品内で「(江戸見坂は)遂に登りきる事が出来なかった」と記しました。 三分(さんぷん)坂。直哉はこの坂でも自転車で上り下りを楽しみました。
霊南坂は、ホテルオークラとアメリカ大使館の間にある、やや急な坂です。 江戸見(えどみさか)坂は、勾配率は20%と都内でも指折りの急坂。直哉も作品内で「(江戸見坂は)遂に登りきる事が出来なかった」と記しました。 三分(さんぷん)坂。直哉はこの坂でも自転車で上り下りを楽しみました。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
 
◆永井荷風(ながい・かふう)と偏奇館(へんきかん)◆
 泉ガーデンタワー辺りの旧地名は麻布市兵衛町。近代的なビルが建ち並ぶ、その谷間に「偏奇館跡」の碑があります。偏奇館は、永井荷風が、大正9(1920)年から25年間を過ごした木造2階建ての家です。ペンキ塗りだったことから「偏奇館」と名付け、障子・襖・畳を置かず台所を広くした洋風の家でした。荷風はこの洋館で「つゆのあとさき」「ひかげの花」「墨東綺譚」など数々の代表作を執筆します。
 しかし、館は昭和20年3月の東京大空襲で焼失。このとき荷風は日誌と草稿を持ち出すのが精一杯で、蔵書などほとんどの物を失います。四半世紀にわたった偏奇館時代は終わり、その後、昭和34(1959)年、79歳で亡くなるまで港区内には戻りませんでした。
「偏奇館跡」の碑。耽美派を代表する流行作家であった永井荷風は当地に25年間暮らしていました。 碑は近代的なビルが建ち並ぶ、その谷間にひっそりとありました。荷風の思想・生活ぶりは、40数年にわたる日記「断腸亭日乗」に詳しくみることができます。
「偏奇館跡」の碑。耽美派を代表する流行作家であった永井荷風は当地に25年間暮らしていました。 碑は近代的なビルが建ち並ぶ、その谷間にひっそりとありました。荷風の思想・生活ぶりは、40数年にわたる日記「断腸亭日乗」に詳しくみることができます。  
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
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◆偏奇館跡◆
所在地 六本木1-6
◆龍土軒跡◆
 明治33(1900)年、フランス料理の草分け「龍土軒」が開業しました。旧地名は新龍土町12番地。この店には柳田国男をはじめ、国木田独歩、島崎藤村、田山花袋、小山内薫など文学者が集う「龍土会」が定期的に行われ、文学者のたまり場でした。集会では朗読、談話の合間に外国文学が紹介され、自然主義作家を育てる礎になったといわれています。
 その後、「龍土軒」は西麻布に移転しますが、龍土軒を案内する看板だけは残っていましたが、どちらの跡地も新築ビルの建設中。時代の流れの早さを感じさせます。青山霊園はすぐそば。志賀直哉のお墓まで足を延ばしてみました。
西麻布にある「龍土軒」の案内板。2007年10月まで営業していましたが、現在は工事中でお店はありません。2010年7月に改装オープン予定です 改装前の「龍土軒」の店内。クラシカルで正統派なのに、心安らぐ雰囲気がありました。(08年7月撮影) 改装前の「龍土軒」の店内。クラシカルで正統派なのに、心安らぐ雰囲気がありました。(08年7月撮影)
西麻布にある「龍土軒」の案内板。2007年10月まで営業していましたが、現在は工事中でお店はありません。2010年7月に改装オープン予定です 改装前の「龍土軒」の店内。クラシカルで正統派なのに、心安らぐ雰囲気がありました。(08年7月撮影) 青山霊園内にある志賀直哉の墓(中央)。昭和46年(1971)に永眠。本人の遺言により、青山葬斎場での葬儀は無宗教で行われました。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
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◆龍土軒跡◆
所在地 六本木7-4-4
◆志賀直哉の墓◆
所在地 南青山2丁目(青山霊園)
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