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秋の祭礼を3倍楽しむ
〜祭りの準備を歩く〜
観光モデルルート 〜祭りの準備を歩く〜
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1 春日神社と芝大神宮
 
2 白金と赤坂の氷川神社
 
3 赤坂豊川稲荷と天祖神社
 
4 みなと区民まつりの地。もともとの芝公園の周り(芝公園地1〜25号)を歩く
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◆名奉行・大岡越前が信仰した赤坂豊川稲荷(あかさかとよかわいなり)
 東京メトロ銀座線・丸ノ内線の赤坂見附駅から、青山一丁目方向へ。しばらく進むと、右手前方にたくさんの赤い提灯のある赤坂豊川稲荷がみえます。かつて、大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)が赤坂一ツ木にあった邸宅内に「豊川稲荷本山」に祀られていた豊川叱枳尼真天(とよかわだきにしんてん)の分霊を祀っており、その後、大岡邸から現在地に移転したことで、ここが愛知県豊川稲荷の直轄別院となりました。大岡越前は、江戸中期の政治家で町火消し「いろは四十七組」を組織したり、貧窮者のために小石川養生所を設立したりするなど名奉行としても知られています。境内には大岡越前守忠相公のお位牌も祀られています。
 境内に入ると、すぐ手前に「子宝観世音菩薩像」が。その像の後ろに、「花の高三トリオ 卒業記念植樹」との献木が3本ありました。山口百恵、桜田淳子、森昌子の三人娘のことです。ちなみに日付は昭和52年1月3日。1970年代歌謡曲全盛時代を知る世代には、懐かしい名前でしょう。
赤い提灯がたくさんかかった赤坂豊川稲荷。江戸時代の政治家、大岡越前守忠相公とのゆかりが深く、愛知県豊川稲荷の直轄別院です。 毎年9月に催される例大祭は「大岡祭り」といわれています。 境内にある「子宝観世音菩薩像」の後ろには、「花の高三トリオ 卒業記念植樹」が3本。昭和52年、山口百恵、桜田淳子、森昌子の名がありました。
赤い提灯がたくさんかかった赤坂豊川稲荷。江戸時代の政治家、大岡越前守忠相公とのゆかりが深く、愛知県豊川稲荷の直轄別院です。 毎年9月に催される例大祭は「大岡祭り」といわれています。 境内にある「子宝観世音菩薩像」の後ろには、「花の高三トリオ 卒業記念植樹」が3本。昭和52年、山口百恵、桜田淳子、森昌子の名がありました。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆千本のぼりがはためく境内を散策
 豊川稲荷にはさまざまなご利益のある神様が集まっています。財宝を生む融通稲荷、音楽や知恵、弁才をつかさどる弁財天、商売繁盛や円満な対人関係をもたらす三神殿、縁切りや災難よけの守護神「叶稲荷尊天」、それに七福神も鎮座しています。
 奥の院参道の両側にはびっしりと参拝者が奉納した「千本のぼり」が並んでいます。また、それぞれの祠(ほこら)の前にお供えものがあります。油揚げに小さなお餅、生卵、お酒です。
 なぜ卵が?境内となりの茶店の方は、「龍神さま、巳さまは卵からかえるでしょ」と小さな白い蛇のお像を指さし教えてくれました。 赤坂豊川稲荷の方は「卵は、戦前から自然発生的に供えられるようになったもの。貴重な食べ物だったからだと思います。油揚げも狐の好物というより、狐の色と実りの黄金色、大豆から作る貴重な食べ物という意味があるのですね」と教えてくれました。
 例大祭は、奉納した参拝者にお赤飯が配られるなど、ふだん以上のにぎわいとなります。
八角形の大理石塔、霊狐塚にはたくさんの霊狐が並びます。 奥の院参道の両側には願いを込めた、またはお礼としての赤と白の「千本のぼり」が奉納されています。 お供えものは、油揚げにお餅、卵があります。茶店の方が火打ち石で、お清めをしてくださいました。
八角形の大理石塔、霊狐塚にはたくさんの霊狐が並びます。 奥の院参道の両側には願いを込めた、またはお礼としての赤と白の「千本のぼり」が奉納されています。 お供えものは、油揚げにお餅、卵があります。茶店の方が火打ち石で、お清めをしてくださいました。
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◆豊川稲荷東京別院 ◆
所在地 元赤坂1-4-7
交通 東京メトロ丸の内線・銀座線赤坂見附駅から徒歩5分
TEL 03-3408-3414
◆ 青山通りを寄り道しながら、ゆったりと散歩
 青山通りの片側が赤坂御用地。緑を右手にみながら歩くと、やがて草月会館です。明治生まれの華道家・勅使河原蒼風(1900−1979)がはじめた草月流の拠点です。個性を尊重するいけばなを提唱し、欧米各地でも展覧会を開いて世界的にもその評価を高めました。
 隣にあるのが緑におおわれた高橋是清翁記念公園。昭和11年におきた青年将校らのクーデター未遂事件、2・26事件で凶弾に倒れた是清の屋敷跡です。今も是清像が見守っています。主屋は東京・小金井市にある「江戸東京たてもの園」に移設されています。
 その隣がカナダ大使館。一般に公開している大使館のエスカレーターで4階のガーデンに立ち寄ります。赤坂御用地が目の前に広がり、緑に圧倒されるほどです。地下の高円宮記念ギャラリーでは定期的に展覧会が催されています。
 青山一丁目の交差点の手前、赤坂郵便局を左折して、国道319号(外苑東通り)に入ります。しばらく歩くと、乃木公園。ここは日清・日露戦争を戦った陸軍大将乃木希典(まれすけ)(1849〜1912)の邸宅跡です。将軍は馬をこよなく愛したといわれ、立派なレンガ造りの厩(うまや)が残されています。
ふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」、「達磨さん」と親しまれた高橋是清の銅像が見守ります。 公園の隣は、カナダ大使館。展覧会や講演会なども催されています。 乃木将軍は馬をこよなく愛しました。立派なレンガ造りの厩(うまや)が遺っています。
ふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」、「達磨さん」と親しまれた高橋是清の銅像が見守ります。 公園の隣は、カナダ大使館。展覧会や講演会なども催されています。 乃木将軍は馬をこよなく愛しました。立派なレンガ造りの厩(うまや)が遺っています。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆七福神の「福禄寿」を祀る天祖神社
 乃木坂陸橋をこえていくと、東京ミッドタウンの建物が見えてきます。道路を挟んだ赤坂九丁目交番を左にし、右折。国立新美術館に向かう道です。国立新美術館の手前で左折し。細い一本道を入ると、天祖神社が表れます。
 天祖神社は至徳元年(1384)8月16日、芝西久保、飯倉城山(ホテル・オークラの南側付近)に祀られたと伝えられ、江戸時代初期に現在地に移り、名前も「竜土神明宮」と称えられました。創建当時、毎夜のように品川沖から竜が灯明(とうみょう)をあげに飛んで来たという伝説があり、「竜灯(りゅうどう)」からとって竜土神明宮となったといいます。境内前の石柱には「竜土神明宮 天祖神社」とあります。
 ふと社殿の奥を見ると、本殿奥に金属製の大きな水瓶がありました。胴部に「天保十年」、「麻布龍土氏子中」、「武川口住鋳物師金太郎」などの文字がありました。江戸時代後期、氏子たちの依頼で川口の鋳物師が作ったものと思われます。
 境内には、朱色の鳥居と左右2体の小さなお狐さまの「満福稲荷社」もあります。ここは七福神の「福禄寿」を祀っています。例祭では、六本木界隈をぐるりと御神輿が練り歩きます。
この界隈は、かつて「龍土町」といいました。美術館ができたことで「龍土町美術館通り」と名前が復活しました。 天祖神社は、「竜土神明宮」といわれたことが石柱からもわかります。 胴部には「天保十年」、「麻布龍土氏子中」「武川口住鋳物師金太郎」などの文字がありました。1839年ごろ、この地域の氏子の依頼で川口の鋳物師金太郎さんが作ったものでしょう。
この界隈は、かつて「龍土町」といいました。美術館ができたことで「龍土町美術館通り」と名前が復活しました。 天祖神社は、「竜土神明宮」といわれたことが石柱からもわかります。 胴部には「天保十年」、「麻布龍土氏子中」「武川口住鋳物師金太郎」などの文字がありました。1839年ごろ、この地域の氏子の依頼で川口の鋳物師金太郎さんが作ったものでしょう。
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◆天祖神社◆
所在地 六本木7-7-7
TEL 03-3408-5898
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