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◆見晴らしのよかった愛宕山。愛宕神社境内にある三角点と几号(きごう)
 都内で一番高い、標高26メートルの愛宕山。その見晴らしのいい場所は、地図づくりのうえでも注目されました。明治初期に測量のために設けられた三角点と几号(きごう)水準点があるのです。
 三角点とは三角測量の基準点のことで、日本全国に10万箇所もあり、かつては地図作成のほか道路建設などの公共事業に貢献しました。現在は地図づくりではなく、地殻変動調査で活躍しています。
 もう一つの几号水準点は、高さを測るための基準点です。明治5年(1872)に、日本で最初の本格的な三角測量が開始され、明治9年に内務省地理局による高低測量の几号が規定され、東京や横浜などで測量が行われました。几号は、「不」や「T」という印が石碑や鳥居、独立した標石などに彫られて記されているもので、今もその姿をとどめているものが港区内にも何カ所かあります。
 ここ愛宕神社境内には、地面に三角点(金属板の蓋の下)が、「起倒流拳法碑」(きとうりゅうけんぽうひ)の台座右下に「T」の字の几号水準点があります。
標高26メートルの愛宕山。明治期にも江戸湾を見渡せた見晴らしのいい場所は、地図づくりでも注目されました。 「弁財天社」近くに三角点があります。金属板の蓋がしてあるので、見たあとは、もとに戻しておきましょう。 この石碑の台座の右下に「T」という几号水準点があります。
標高26メートルの愛宕山。明治期にも江戸湾を見渡せた見晴らしのいい場所は、地図づくりでも注目されました。 「弁財天社」近くに三角点があります。金属板の蓋がしてあるので、見たあとは、もとに戻しておきましょう。 この石碑の台座の右下に「T」という几号水準点があります。
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所在地 愛宕1-5-3
交  通 都営三田線・御成門駅より徒歩6分
東京メトロ・神谷町駅より徒歩8分
◆日本の位置を示す東経と北緯の基準がここ。「日本経緯度原点」
 日本国内の測量の基準点である「日本経緯度原点」に向かいます。
 愛宕神社から桜田通りに出て、飯倉交差点へ。東京タワーを左にして榎坂を上ってロシア大使館手前の道を左折。小さな公園のような広場があり、そのなかに日本の位置の測量の出発点となる「日本経緯度原点」があります。国土地理院の標識と原点の金属鋲がうめこまれた御影石の碑。全国の経緯度はここの値を基準に決定されています。「東経139°44′28″.8759 北緯 35°39′29″.1572」。
 明治7年(1874)、ここに海軍観象台ができ、明治21年、東京天文台となった同施設で星を観測して精密な緯度、経度が決定されました。その後、三角点が決められ、全国に三角網が形作られていきます。
 なお、東京天文台は関東大震災で観測機器に大きな被害を受けたことなどから、三鷹へ移転。現在の国立天文台となっています。
ロシア大使館のちょうど裏手に、日本の位置の測量の出発点となる「日本経緯度原点」があります。 「日本経緯度原点」とある金属鋲が、御影石に埋め込まれています。 小さな公園のようになった静かな空間。東京天文台だった当地に原点の石碑があります。
ロシア大使館のちょうど裏手に、日本の位置の測量の出発点となる「日本経緯度原点」があります。 「日本経緯度原点」とある金属鋲が、御影石に埋め込まれています。 小さな公園のようになった静かな空間。東京天文台だった当地に原点の石碑があります。
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所在地 麻布台2-2-1
交  通 都営大江戸線・赤羽橋駅より徒歩7分

◆江戸時代、日本全国の海岸線を歩いて測量した伊能忠敬を讃える碑
 飯倉交差点にもどり、赤羽橋方面へ進みます。都営三田線芝公園駅のほうから、芝公園に入ります。  広い芝公園のなかのこんもりとした小山、「史跡・丸山古墳」を上ると、上りきった広場に「伊能忠敬測地偉功表」があります。商人として身を立てた伊能忠敬は、50歳から隠居し天文や測量を学んで、寛政12年(1800)に56歳で全国の測量の旅に出ます。74 歳で亡くなりますが、それまで何回にもわたって全国の海岸線を歩いて測量した結果は、死後に編さんされ精度の高い地図と評価された『大日本沿海輿地全図』となります。  なお、測量の起点となったのが「高輪大木戸」です。この遺功表も当初は、その大木戸に建設することが検討されていましたが、明治22年、東京地学協会は、青銅製オベリスク型の遺功表を芝公園内に建立しました。しかし、これは戦時中の金属回収政策により取り壊されたため、同協会が昭和40年(1965)に再建しました。
史跡・丸山古墳を上っていくと、広場のようになっています。 伊能忠敬の功績を讃える「伊能忠敬測地偉功表」。この形は、忠敬(ちゅうけい)を扇の形の一種である中啓をもじって作られました。 芝東照宮の鳥居に「不」の印が。几号水準点です。
史跡・丸山古墳を上っていくと、広場のようになっています。 伊能忠敬の功績を讃える「伊能忠敬測地偉功表」。この形は、忠敬(ちゅうけい)を扇の形の一種である中啓をもじって作られました。 芝東照宮の鳥居に「不」の印が。几号水準点です。
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所在地 芝公園4丁目 都立芝公園内
交 通 都営三田線・芝公園駅より徒歩2分
◆御穂鹿嶋(みほかしま)神社の狛犬がのる台座に几号
 日比谷通りを三田方面にまっすぐ進みます。JR田町駅手前、第一京浜沿いに「西郷・勝両氏会見地」の碑があります。慶應4年(1868)3月13日、14日の両日、薩摩屋敷において勝海舟と西郷隆盛の会見が行われ、歴史的な無血開城が決められました。このあたりは薩摩藩の屋敷でした。
 さて、その脇の道を第一京浜を背に進んでいくと、角で二匹の狛犬が迎えてくれる御穂鹿嶋神社があります。本殿の正面にまわり、鳥居の両側にある狛犬の一方の台座に注目です。赤く「若者中」とある下のほうに、「不」のような几号がありました。
「西郷・勝氏両氏会見地」の碑の近くに御穂鹿嶋神社があります。 狛犬の一方、「若者中」とある台座に注目します。 くっきりと「不」という几号水準点が彫られています。
「西郷・勝氏両氏会見地」の碑の近くに御穂鹿嶋神社があります。 狛犬の一方、「若者中」とある台座に注目します。 くっきりと「不」という几号水準点が彫られています。
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所 在 地 芝4-15-1
交  通 JR田町駅より徒歩5分
都営三田線・浅草線・三田駅より徒歩3分
◆高輪大木戸跡
 第一京浜にもどり、品川方面に進みます。札の辻を越え、まっすぐいくと「大木戸跡」の信号があり、その近くに高い木々と石垣の「高輪大木戸跡」が見えます。ここは、江戸時代に東海道の江戸の南の出入り口として、交通や治安の見張り役をはたしていました。とくに「高輪大木戸」は、高札場もあって人と情報の行き交う場であり、また当時は海岸ですから、月見の名所としても賑わっていました。伊能忠敬も、海岸に面したここから測量にスタートしています。重要なポイントだったことは明らかです。
 さて、実はこの石垣にも几号水準点が刻印されているのです。車道に面した下のほうの石に、とても鮮明に「不」のような印がありました。ただし、交通量の多い道なので、充分に注意してみましょう。
 ここから都営浅草線・泉岳寺駅はすぐそこです。
江戸時代、東海道の江戸の南の出入り口として、交通や治安の見張り役目をはたしていた「高輪大木戸」。伊能忠敬もここから測量の旅に出発しました。 この石垣にも、几号水準点があります。車道に面しているので観察には注意を要します。 きれいに「不」という刻印が見えます。
江戸時代、東海道の江戸の南の出入り口として、交通や治安の見張り役目をはたしていた「高輪大木戸」。伊能忠敬もここから測量の旅に出発しました。 この石垣にも、几号水準点があります。車道に面しているので観察には注意を要します。 きれいに「不」という刻印が見えます。
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所 在 地 高輪2-19
交  通 京浜急行本線・都営浅草線・泉岳寺駅より徒歩2分
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