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赤坂の新・今昔物語
新名所「赤坂サカス」から、歴史の舞台となった赤坂、緑多き赤坂を訪ねて
観光モデルルート 新名所「赤坂サカス」から、歴史の舞台となった赤坂、緑多き赤坂を訪ねて
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1 赤坂らしさを探して
 
2 バラ園近くに勝海舟ゆかりの地、そして永井荷風も住んでいた
 
3 「軍隊の町」でもあった赤坂
 
4 歴史の舞台に自然が活き活きと
 
5 東京ミッドタウンと檜町公園
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赤坂の新・古今物語4 歴史の舞台に自然が活き活きと
◆赤坂見附駅から弁慶橋へ◆
 銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅からスタートします。まずは、赤坂見附駅交番の前へ。
交番を背に2つ信号を渡り、高速道路の下、内堀通りを横断します。正面方向には高層のホテル群が見えますが、着いたところは古都の雰囲気よろしく擬宝珠(ぎぼし)がついた弁慶橋です。眼下はお堀。水がゆったりと流れています。弁慶の名は、この堀の名からきた、あるいは弁慶小左衛門という人が設計した堀だから、神田にあった弁慶小左衛門が作った廃橋を移したからなどの説があります。
 明治22年にこの橋がかけられましたが、明治26年に出版された『新撰東京実地案内』のなかの「東京名所案内」には、「山水の風致(ふうち)備はり、景色絶景なり」とあります。また、内堀通りにはかつて路面電車が走っていました。あの永井荷風は、堀の岸にある一株の柳の枝のようすがとても風情があるので、電車で通りがかかるときは、いつも振り返って眺めたと記しています。(永井荷風「大窪だより」)
information
◆弁慶橋・弁慶堀◆
所在地 元赤坂1・2丁目

赤坂見附駅前交番の前は小さな広場になっていて、電子サインボード、通称「ミッケ」もあります。 赤坂見附駅前交番の前は小さな広場になっていて、電子サインボード、通称「ミッケ」もあります。
赤坂見附駅前交番の前は小さな広場になっていて、電子サインボード、通称「ミッケ」もあります。 赤坂見附駅前交番の前は小さな広場になっていて、電子サインボード、通称「ミッケ」もあります。
弁慶橋の向こうには、千代田区内にある高層ホテル群が見えます。 擬宝珠の欄干の向こう、濠にはボートが浮かび、「BOAT HOUSE」の文字が見えます。
弁慶橋の向こうには、千代田区内にある高層ホテル群が見えます。 擬宝珠の欄干の向こう、濠にはボートが浮かび、「BOAT HOUSE」の文字が見えます。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆弁慶橋ボート場◆
 このお堀では都会のまさに真ん中なのに、釣り人の姿が見えます。「弁慶橋ボート場」があり、ここでボート遊びや釣りができます。不思議な光景ですが、このボート場は戦後すぐに創業したので68年の歴史があります。
 都会で自然の豊かさを保つには、その維持と回復にも力を注がなければなりません。
弁慶橋を下りていくと、ボート場がありました。 都会のオアシス!観光よりも釣りを楽しむ人が多いとのことです。水質改善の成果もあり、魚も増えています。
弁慶橋を下りていくと、ボート場がありました。 都会のオアシス!観光よりも釣りを楽しむ人が多いとのことです。水質改善の成果もあり、魚も増えています。
弁慶橋をあとにお堀沿いに歩いていくと、上は高速道路で左は内堀通り。右と左の景色がまったく違います。 道路の反対側の景色がこれ、釣り人と緑豊かな自然です。ここも東京・赤坂です。
弁慶橋をあとにお堀沿いに歩いていくと、上は高速道路で左は内堀通り。右と左の景色がまったく違います。 道路の反対側の景色がこれ、釣り人と緑豊かな自然です。ここも東京・赤坂です。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆紀伊国坂(きのくにさか)、迎賓館◆
 弁慶橋のたもとにもどって、それを背に、内堀通り沿いのゆるやかな上り坂を行きます。左手は皇室専用の敷地である赤坂御用地です。住所でいえば元赤坂2丁目。ここに、皇太子の住まいである東宮御所や秋篠宮親王邸などの邸宅や皇室の施設があります。
 このあたりは赤根山と呼ばれていて、そこに登る坂を「赤坂」と呼んだと伝えられています。今は赤坂地区の端にあたりますが、どうも元はこの坂のようです。江戸時代になって紀州藩中屋敷が置かれたので、その後、紀伊国坂(きのくにさか)と呼ばれるようになりました。
 そうして、見えてきたのが迎賓館の門です。でも、残念ながら、平成18年から20年12月25日まで本館改修工事をしているので、建物の全容を見ることはできませんが、門や門から垣間見る庭園のようすなどは、フランスかどこかのかつての西洋に行ったような雰囲気です。明治42年、大正天皇の住まいとして宮廷建築家・片山東熊の総指揮のもと作られました。外観はベルサイユ宮殿にならったとのことです。
 戦後の一時期は、国会図書館としても利用されましたが、昭和49年、迎賓施設として外交活動の舞台に生まれ変わりました。
information
所在地 ●紀伊国坂 元赤坂2丁目
●迎賓館 元赤坂2丁目1

紀州藩邸時代のものと思われる門です。 赤坂迎賓館。まるでフランスの宮殿のようです。
紀州藩邸時代のものと思われる門です。 赤坂迎賓館。まるでフランスの宮殿のようです。
本館の改修工事で建物の全容は見えませんが、そのかわり門番の詰め所が引き立ちます。 赤坂御用地のまわりをひたすら歩きますが、植物もいろいろと変化に富みます。ランナーたちのいいトレーニングの場にもなっています。
本館の改修工事で建物の全容は見えませんが、そのかわり門番の詰め所が引き立ちます。 赤坂御用地のまわりをひたすら歩きますが、植物もいろいろと変化に富みます。ランナーたちのいいトレーニングの場にもなっています。
※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。
◆安鎮坂から憲法記念館でもある明治記念館へ◆
 鮫ヶ橋坂派出所の前を通っていくとやがてじわじわと登りの続く安鎮坂(あんちんざか)に。かつてこの近くに安鎮大権現(あんちんだいごんげん)という小さなお社(やしろ)があったことからその名がつきました。やや平坦になってくると、右手に「明治記念館」の看板が見えてきます。結婚式などの式場としても有名ですが、ここも赤坂御用地とゆかりのある施設です。
 明治記念館(今の本館)は、仮皇居が旧紀州藩邸(今の赤坂御用地)に置かれたとき、明治14年に別殿「ご会食所」としてできました。その後の明治21年に、翌年に発布される明治憲法の案文の審議がこの「ご会食所」で始まりました。そうして、この建物は初代総理大臣・伊藤博文に下賜され、伊藤邸内(現品川区大井)へ移築され「恩賜館」となっていましたが、大正7年、伊藤家より明治神宮へ奉献され、現在の地に移築竣工、「憲法記念館」と名を改めました。
 正門を入ってすぐ右に「憲法記念館」の石碑があります。新館に続く道を少し超えたところに和風近代建築のどっしりとした本館こと、憲法記念館があります。
 憲法制定のための御前会議が開かれた場は「金鶏の間」となっていて、宴会のないときはラウンジとして利用できます。くつろぎながら黒漆塗りのマントルピースやシャンデリア、壁一面の手描きの金鶏などをゆったりと鑑賞できます。
 なお、庭も利用できます。緑が映えるこの時期、広い芝生の庭を眺めていると気持ちも晴れやかになります。
information
◆明治記念館◆
所在地 元赤坂2-2-23

緩いけれど長く続く安鎮坂ですが、落ち着いた道です。 明治記念館の入口。門柱には「憲法記念館」の文字も見えます。 門を入ってすぐ右に「憲法記念館」の石碑があります。
緩いけれど長く続く安鎮坂ですが、落ち着いた道です。 明治記念館の入口。門柱には「憲法記念館」の文字も見えます。 門を入ってすぐ右に「憲法記念館」の石碑があります。
和風近代建築のどっしりとした本館こと、ここが憲法記念館です。 玄関口の菊のご紋をあしらったランプシェードや和洋折衷の建物の内部を見ることができます。 手入れのゆきとどいた芝生のお庭。眺めるのもよし、歩いてみるのもよし、です。
和風近代建築のどっしりとした本館こと、ここが憲法記念館です。 玄関口の菊のご紋をあしらったランプシェードや和洋折衷の建物の内部を見ることができます。 手入れのゆきとどいた芝生のお庭。眺めるのもよし、歩いてみるのもよし、です。
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◆都市デザインとしての神宮外苑の銀杏並木から外苑前駅へ◆
 明治記念館をあとにして、左前方に進みます。外苑東通りに沿わず、少し右にそれます。林のようなところが神宮外苑の敷地の一部です。外苑は陸軍青山練兵場でした。  ひっそりとした林をぬけると、やがて大きな銀杏の木々が見えてきます。テレビや映画のロケ地としても有名な場所です。この並木は、関東大震災後の帝都復興事業によって実現したものですが、車道脇の2つの歩道の両側4列に銀杏が146本、銀杏の木も吟味されて植えられ、絵画館が突き当たりに見えるようにと西洋の街を模範に景観づくりが行われました。時間をかけて、人々に愛される都市デザインは誇るべきものです。
 つきあたりは、青山通りです。
 銀杏並木の脇に大きな石碑「明治神宮外苑之記」があります。外苑は民間有志で結成された「明治神宮奉賛会」、国民より寄付金を募り造営され、大正15年10月22日明治神宮に奉献された旨が記されています。漢字と仮名交じりの碑ですが、くずし字のひらがなや文面には現在にはない日本語の力強さが感じられます。
 銀杏並木を背にして右に200メートルほど行くと、東京メトロ・銀座線外苑前駅です。
神宮外苑の敷地の一部には、明治天皇が観兵式の際に立ったという「御観兵榎」が残されています。現在のは2代目です。 四季を通じて美しいからロケ地に多く使われます。世界に誇る都市デザインである外苑の銀杏並木。
神宮外苑の敷地の一部には、明治天皇が観兵式の際に立ったという「御観兵榎」が残されています。現在のは2代目です。 四季を通じて美しいからロケ地に多く使われます。世界に誇る都市デザインである外苑の銀杏並木。
神宮外苑が人々の寄付などでできたと主旨が書かれている碑文。漢字仮名交じりの力強い日本語です。なかなか読めないひらがなもあります。 銀杏はまっすぐ天に伸びるようです。両側の銀杏並木の中央に神宮外苑の噴水が見えます。年月を経て、すばらしい都市デザインが生きています。
神宮外苑が人々の寄付などでできたと主旨が書かれている碑文。漢字仮名交じりの力強い日本語です。なかなか読めないひらがなもあります。 銀杏はまっすぐ天に伸びるようです。両側の銀杏並木の中央に神宮外苑の噴水が見えます。年月を経て、すばらしい都市デザインが生きています。
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