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ビッグ再開発と大名屋敷の不思議な縁
<赤坂・六本木エリア> |
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| 赤坂・六本木エリアを歩いていて気づくのは、ここもかつては広大な大名屋敷が続くエリアであったこと。また、都心のビッグ再開発プロジェクトを歩くコースともなり、大名屋敷との関係に不思議な縁を感じます。東京メトロ赤坂見附駅からスタートしましょう! |
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| 東京メトロ銀座線・丸ノ内線の赤坂見附駅から出発!青山通りを渋谷方向に進むと、まず右手に見える、うっそうとした緑の一角は赤坂離宮の森。かつては、紀伊殿(紀伊和歌山藩)の広大な中屋敷でした。その総面積は、なんと約13万5千坪(約44万6,000u)もあったそうです。紀伊殿は徳川御三家のひとつで、8代将軍吉宗を輩出した藩として有名。紀伊徳川家ゆえに、広大な中屋敷となるのも当然ですね。 |
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| 青山通りから見た赤坂離宮の森。中屋敷は明治維新後に天皇家に献上され、明治42(1909)年に明治天皇の仮皇居として西洋風の宮殿(東宮御所)が建てられた |
東宮御所は昭和になって迎賓館として使われるようになった。現在、紀伊徳川家の風格を残す東門が外堀通り沿いに唯一残っている |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆赤坂離宮の森◆ |
| 所在地 |
港区元赤坂2丁目 |
| 交 通 |
東京メトロ銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅より徒歩7分 |
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| 青山通りを赤坂見附駅方向に戻り、一ッ木通りへ。5分ほど歩くと、赤坂通りに突き当ります。江戸時代、このあたり一帯は松平安芸守(安芸広島藩)の中屋敷でした。豊臣秀吉の五奉行筆頭・浅野長政を祖とする大名で、忠臣蔵の赤穂浅野家の本家筋にあたる大藩です。また戦前までは、近衛歩兵第3連隊の営舎が置かれていました。そして現代、大規模な再開発によって、2008年3月に新名所「赤坂サカス」がオープン。赤坂の新たな歴史が開かれようとしています。 |
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| 赤坂の新名所として注目されている「赤坂サカス」(赤坂Bizタワーや映画・ライブ施設、既存のTBS放送センターを合わせた複合エリアの総称) |
「ビッグハット」の名で親しまれる東京放送社屋 |
「赤坂ACTシアター」とライブ施設「BLITZ」 |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆赤坂サカス◆ |
| 所在地 |
港区赤坂5丁目 |
| 交 通 |
東京メトロ銀座線・丸ノ内線赤坂見附駅より徒歩5分
千代田線赤坂駅より徒歩1分 |
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| 赤坂通りを横断。2棟の国際新赤坂ビルの間を溜池方向に歩き、坂を上ったところを右折します。すぐ左手には、南部坂に沿って広大なアメリカ大使館宿舎が広がっています。そこは真田信濃守(信濃松代藩)の中屋敷跡。初代藩主は真田信之です。関ヶ原の合戦などで武功が知られる真田幸村の兄で、徳川家康に高く評価された逸材でした。大使館宿舎の敷地に沿ってそのまま進むと、右手に緑濃い木立に覆われた社が見えてきます。8代将軍吉宗の享保年間に、当地に遷座した氷川神社です。 |
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| 2棟の国際新赤坂ビル。20世紀末ごろは赤坂でもっとも目立つ建物だった |
赤坂氷川神社。江戸七氷川のひとつであり、元准勅祭東京十社のひとつでもある |
8代将軍・徳川吉宗が建立した社殿。赤穂浪士の討ち入り事件が起きた5代将軍綱吉の時代には、浅野土佐守(安芸三次藩)の下屋敷だった |
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| 氷川神社境内には、有名な「南部坂雪の別れ」を解説した表札がある。土佐守の三女は浅野内匠頭の正妻で、内匠頭の切腹後はこの屋敷で瑶泉院として余生を過した |
平成7(1995)年に建立された「勝海舟邸跡」の碑。ソフトタウン赤坂(港区赤坂6-10-39)にある。勝は「氷川の御前」と慕われていた |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆氷川神社◆ |
| 所在地 |
港区赤坂6-10-12 |
| 交 通 |
東京メトロ千代田線赤坂駅より徒歩5分 |
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| 南部坂まで戻って坂を下り、六本木通りへ出ると正面に見えるのがアークヒルズ。元々は、急な傾斜地で造成の至難な地形といわれましたが、江戸時代は松平大和守(武蔵川越藩)の中屋敷と戸田采女正(うねめのかみ・美濃大垣藩)の上屋敷だったところです。戸田家は赤穂浅野家の親類にあたり、4代藩主氏定は松の廊下の刃傷事件のときに浅野家再興のために奔走します。港区には忠臣蔵と縁の深い大名屋敷がたくさんあり、その関係を辿ってみるのも面白いかもしれませんね。 |
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| 南部坂。緑が美しいことで知られるアメリカ大使館宿舎脇に沿っている |
六本木通りの西側からアークヒルズを見上げる。都心の大規模な再開発事業の先駆け的な存在で、2008年でオープン20年になる |
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| 立体的なアークヒルズの設計は傾斜地を巧みに利用したもの |
崖地の中段に位置したサントリーホール。かつて松平大和守の中屋敷があったのがこのあたり |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆アークヒルズ◆ |
| 所在地 |
港区赤坂1-13 |
| 交 通 |
東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅より徒歩5分 |
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| 六本木通りを渋谷方面に向かい、六本木交差点を右折して東京ミッドタウンへ。広大な敷地は、松平大膳大夫(長門萩藩)の中屋敷跡。長門萩藩は外様大名・毛利氏を藩主とし、幕末の当主だった毛利敬親(たかちか)は、倒幕を進めた明治維新の功労者です。中屋敷跡には戦前、歩兵第1連隊の営舎が建ち、通りを隔てて歩兵第3連隊の営舎が存在。昭和11年の2.26事件とき、この2つの部隊は叛乱軍の基幹部隊となります。武断派の幕末長州、2.26事件、そして防衛庁に。歴史を辿れば何か因縁めいた場所ですね。 |
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| 東京ミッドタウン。世界的ホテルや美術館など、文化の薫りのするお洒落なスポット。このあたりは古くから外国公館に近接していたため、外国人の多い街として発展した |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆東京ミッドタウン◆ |
| 所在地 |
港区赤坂9-7 |
| 交 通 |
東京メトロ日比谷線・都営大江戸線六本木駅より徒歩1分 |
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| 外苑東通りを渡り、青山方面へ進むと、すぐに見えるのが国立新美術館。もともとは伊達遠江守(伊予宇和島藩)の上屋敷でした。伊達家といえば、伊達政宗の仙台を連想するかも知れませんが、宇和島伊達家はその分家で、幕末には本家以上に活躍した当主がいます。8代藩主の伊達宗城(むねなり)で、土佐の山内容堂、福井の松平春獄、薩摩の島津斉彬とともに「幕末四賢侯」と称されました。 |
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| 黒川紀章氏の設計は、世界的なスケールや機能を重視しつつ、周囲の緑と共生させている。 |
エントランスのアトリウムは21.6mの高さで、透明ガラスの空間は比類ない |
コーンを逆さまにしたような円柱が印象的な内観 |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆国立新美術館◆ |
| 所 在 地 |
港区六本木7-22-2 |
| 交 通 |
東京メトロ千代田線乃木坂駅6番出口より直結 東京メトロ日比谷線・都営大江戸線六本木駅より徒歩5分 |
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| 再び六本木交差点に戻り、六本木通りを渋谷方向へ。すぐ左手に超高層ビル群・六本木ヒルズが出現。江戸時代は毛利右京亮(うきょうのすけ・長州府中藩)の上屋敷でした。毛利右京亮は毛利甲斐守の別称で、芝居などでは右京亮が使われることが多いそうです。右京亮の上屋敷は、吉良邸の見取り図を入手した前原伊助など赤穂浪士10人がお預けとなり、さらには切腹した場所。絵図にある天保年間は、11代毛利元義の時代でした。 |
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| 六本木ヒルズは平成15(2003)年の完成までに17年が費やされた。なお、11代毛利元義は文化人として知られ、著名な絵師・狩野芳崖(ほうがい)を世に出したともいわれている |
江戸時代の毛利邸の雰囲気を意匠に組み込んだ毛利庭園。府中毛利藩出身の乃木希典大将もここで生誕したと伝えられている |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆六本木ヒルズ◆ |
| 所 在 地 |
港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー |
| 交 通 |
東京メトロ日比谷線六本木駅下車すぐ (コンコースにて六本木ヒルズまで直結) |
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