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1 大名屋敷が連なっていた地域<高輪・三田エリア>
 
2 芝濱から増上寺へと歩く<芝・芝公園エリア>
 
3 「遠山の金さん」の屋敷を求めて<新橋・愛宕・虎ノ門エリア>
 
4 ビッグ再開発と大名屋敷の不思議な縁<赤坂・六本木エリア>
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「遠山の金さん」の屋敷を求めて
 <新橋・愛宕・虎ノ門エリア>
新橋・愛宕・虎ノ門エリアにもたくさんの大名屋敷が登場します。「どうしてこんなに大名屋敷が…」と疑問に思う方もいるのでは? 江戸時代、御府内の約6割が武家地で、2割が寺社地、残り2割が町民の地だったそうです。それではJR新橋駅からスタートしましょう。

<新橋エリア>

◆中川修理大夫中屋敷跡など(JR新橋駅)◆
JR新橋駅周辺は江戸時代、分部若狭守(わけべわかさのかみ・大溝藩)や中川修理大夫(豊後岡藩)の中屋敷などがありました。新橋の地名は、慶長9(1604)年に汐留川に架けられた橋名「新橋」に由来するそうです。その後、宝永7(1710)年に芝口御門が橋の北に造営されると、橋は芝口橋と改名。橋の北側(現・中央区側)が新橋と呼ばれました。明治に入って橋名は再び新橋に戻され、今度は港区側が新橋と呼ばれ、現在に至ります。
JR新橋駅は、豊後岡藩・中川修理大夫などの大名屋敷跡だった。修理大夫の国元・豊後の岡城(大分県竹田市)は、滝廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった城として有名 新橋駅日比谷口のSL広場あたりは、町民が住む町屋もあったという。日本の鉄道起点となる「新橋駅」が現在の旧新橋停車場にでき、新橋の地名が知られるようになった
JR新橋駅は、豊後岡藩・中川修理大夫などの大名屋敷跡だった。修理大夫の国元・豊後の岡城(大分県竹田市)は、滝廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった城として有名 新橋駅日比谷口のSL広場あたりは、町民が住む町屋もあったという。日本の鉄道起点となる「新橋駅」が現在の旧新橋停車場にでき、新橋の地名が知られるようになった
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◆中川修理大夫中屋敷跡など(JR新橋駅)◆
所在地 港区新橋2丁目
交  通 JR・東京メトロ銀座線・都営浅草線新橋駅
◆3つの大名屋敷跡(汐留シオサイト)◆
JR新橋駅の銀座口から、外堀通りを通って汐留シオサイトへ。江戸時代、この一帯には3つの大きな大名屋敷がありました。まず、旧新橋停車場やカレッタ汐留、電通本社ビルなどの周辺は、脇坂淡路守(播磨龍野藩)の広大な上屋敷。東京汐留ビルディングのあたりは、松平陸奥守(仙台藩伊達家)の上屋敷。大江戸線汐留駅に近い汐留住友ビルディング、ホテルヴィラフォンテーヌ汐留のあたりは、松平肥後守(陸奥会津藩)の中屋敷でした。
明治5(1872)年に最初の新橋駅(旧汐留駅)が存在した場所に、駅舎とホームの一部を再現した旧新橋停車場が。かつては脇坂淡路守の上屋敷だった 電通本社ビル。江戸時代は脇坂淡路守の上屋敷。脇坂家は「賤ヶ岳七本槍」の一人・脇川安治の後裔。浅野家改易のときには赤穂城明け渡しの受城使(城受取人)を務めた
明治5(1872)年に最初の新橋駅(旧汐留駅)が存在した場所に、駅舎とホームの一部を再現した旧新橋停車場が。かつては脇坂淡路守の上屋敷だった 電通本社ビル。江戸時代は脇坂淡路守の上屋敷。脇坂家は「賤ヶ岳七本槍」の一人・脇川安治の後裔。浅野家改易のときには赤穂城明け渡しの受城使(城受取人)を務めた
コンラッド東京ホテルなどが入っている東京汐留ビルディングの周辺は、松平陸奥守の上屋敷が広がっていた。初代当主は、独眼竜で知られる伊達政宗 中央に見えるのはホテルヴィラフォンテーヌ汐留。かつては会津藩・松平肥後守の中屋敷。幕末期に京都守護職などとして活躍する松平容保(かたもり)は同家の9代当主
コンラッド東京ホテルなどが入っている東京汐留ビルディングの周辺は、松平陸奥守の上屋敷が広がっていた。初代当主は、独眼竜で知られる伊達政宗 中央に見えるのはホテルヴィラフォンテーヌ汐留。かつては会津藩・松平肥後守の中屋敷。幕末期に京都守護職などとして活躍する松平容保(かたもり)は同家の9代当主
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◆旧新橋停車場 鉄道歴史展示室◆
入館料 無料
開館時間

11:00〜18:00(入館は閉館15分前まで)

休館日 月曜・年末年始・展示替え期間中(月曜が祝祭日の場合は開館、翌日休館)
所在地 港区東新橋1-5-3
交  通 JR新橋駅より徒歩5分 都営浅草線・東京メトロ銀座線新橋駅より徒歩3分
都営大江戸線汐留駅より徒歩2分
http://www.ejrcf.or.jp/
◆遠山金四郎屋敷跡(第2東洋海事ビル)◆
都営大江戸線汐留駅から、日本テレビタワーの脇を抜けて第一京浜を渡りましょう。新橋5丁目の交差点を右折し、少し歩くと右手に第2東洋海事ビルがあります。このあたりに遠山左衛門尉(さえもんのじょう)こと金四郎景元の屋敷があったとか。テレビドラマや映画でお馴染みの名奉行「遠山の金さん」は、背中の「桜吹雪(遠山桜)」で有名ですが、実在の金四郎も若いときに放埒し、彫り物を入れていたと伝えられています。
新橋繁華街の雑踏を離れて建つ第2東洋海事ビルあたりは、天保年間に北町奉行、南町奉行を歴任した名奉行・遠山金四郎の屋敷跡 現在、このあたりは環状2号線の整備のため、大名屋敷跡など埋蔵文化財の発掘調査が行われている
新橋繁華街の雑踏を離れて建つ第2東洋海事ビルあたりは、天保年間に北町奉行、南町奉行を歴任した名奉行・遠山金四郎の屋敷跡 現在、このあたりは環状2号線の整備のため、大名屋敷跡など埋蔵文化財の発掘調査が行われている  
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◆遠山金四郎屋敷跡(第2東洋海事ビル)◆
所在地 港区新橋4-24-8
交  通 JR新橋駅より徒歩3分
都営浅草線・東京メトロ銀座線新橋駅より徒歩4分
◆田村右京太夫屋敷跡(浅野内匠頭終焉之地)◆
第2東洋海事ビル前を通り抜けて、新橋赤レンガ通りに向かいましょう。新橋赤レンガ通りは、天保14(1843)年版の古地図では愛宕下大名小路と記されています(現在の愛宕下通り付近は「愛宕下広小路」と呼ばれていました)。新橋赤レンガ通りを渡った右角一帯には、田村右京太夫(奥州一関藩)の上屋敷がありました。江戸城松之廊下で刃傷事件を起こした浅野内匠頭は、この屋敷の庭で切腹します。
内匠頭ゆかりの地に再現されている「田村銀杏稲荷大明神」。切腹の場となった庭にはイチョウの大木があったという 新橋4丁目の交差点近くに「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が建立されているが、環状2号線の工事のため石碑は都に預けられている
内匠頭ゆかりの地に再現されている「田村銀杏稲荷大明神」。切腹の場となった庭にはイチョウの大木があったという 新橋4丁目の交差点近くに「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が建立されているが、環状2号線の工事のため石碑は都に預けられている
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◆田村右京太夫屋敷跡(浅野内匠頭終焉之地)◆
所在地 港区新橋4-28〜31
交  通 JR新橋駅より徒歩5分
都営浅草線・東京メトロ銀座線新橋駅より6分
都営浅草線御成門駅より徒歩5分

<愛宕エリア>

◆愛宕山◆
新橋4丁目交差点から愛宕下通りに向かい、芝公園方面に歩きましょう。100mほど歩くと、右手に急勾配の石段が目に飛び込んできます。山頂に愛宕神社がある愛宕山です。正面の真っ直ぐ天を突くような86段の石段が「男坂」、右側の緩やかでちょっとカーブした石段が「女坂」です。愛宕山は標高26mあまりですが、江戸時代は桜と景観の美しい場所として知られ、大いに賑わいました。当時は、大江戸八百八町が見渡せたそうです。
愛宕山男坂。この石段は、曲垣平九郎(まがきへいくろう・讃岐丸亀藩家臣)が馬でいっきに駆け上り、山頂に咲く梅の枝を徳川家光に献上したというエピソードが残っている 山頂の愛宕神社の社前には「平九郎手折りの梅」と伝えられるウメの木が残っている
愛宕山男坂。この石段は、曲垣平九郎(まがきへいくろう・讃岐丸亀藩家臣)が馬でいっきに駆け上り、山頂に咲く梅の枝を徳川家光に献上したというエピソードが残っている 山頂の愛宕神社の社前には「平九郎手折りの梅」と伝えられるウメの木が残っている
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◆愛宕山◆
所在地 港区愛宕1-5-3
交 通 都営三田線御成門駅より徒歩6分
東京メトロ日比谷線神谷町駅より徒歩8分
お問い合わせ 愛宕神社 電話03‐3431‐0327
http://www.atago-jinja.com/

<虎ノ門エリア>

◆松平大和守上屋敷跡(ホテルオークラ東京本館)◆
愛宕山から桜田通りへ。虎ノ門3丁目の交差点を左折し、汐見坂方面に歩きましょう。左手に新日鉱ビルがあり、ホテルオークラ東京本館へと続きます。江戸時代、汐見坂・霊南坂・江戸見坂の3つの坂を取り囲むこの一帯は、すべて松平大和守(武蔵川越藩)の上屋敷でした。川越藩は徳川家康公の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)の五男を祖とする家柄で、家康の元々の姓である松平を名乗ることが許されました。
かつて松平大和守の上屋敷だったホテルオークラ東京本館。天保14(1843)年版の古地図では松平大和守斉典(なりつね)のときで、川越藩最大の17万石を領していた
かつて松平大和守の上屋敷だったホテルオークラ東京本館。天保14(1843)年版の古地図では松平大和守斉典(なりつね)のときで、川越藩最大の17万石を領していた
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◆松平大和守上屋敷跡(ホテルオークラ東京本館)◆
所 在 地 港区虎ノ門2-10-4
交 通 東京メトロ日比谷線神谷町駅より徒歩5分
銀座線虎ノ門駅より徒歩5分
銀座線・南北線溜池山王駅より徒歩5分
南北線六本木1丁目駅より徒歩5分
◆山口筑前守上屋敷・石川又四郎邸跡(アメリカ大使館)◆
汐見坂と霊南坂が交差する先にあるのは、アメリカ大使館。江戸時代、アメリカ大使館の一帯は、山口筑前守(常陸牛久藩)の上屋敷と、定火消(じょうびけし)・石川又四郎(旗本)の屋敷でした。定火消は、幕府が旗本に命じて編成した消防組織。屋敷内には役人や火消し人足などが常駐し、火事のときにはいつでも出動できるように準備していたそうです。現在の消防署のようなところだったわけですね。
1万3000uの広大な敷地をもつアメリカ大使館。牛久藩邸は、カッパの絵で有名な明治の日本画家・小川芋銭(おがわうせん)の生まれた屋敷として知られている アメリカ大使館は明治23(1890)年に日本と賃貸借契約を締結して以来、ずっとこの場所にある
1万3000uの広大な敷地をもつアメリカ大使館。牛久藩邸は、カッパの絵で有名な明治の日本画家・小川芋銭(おがわうせん)の生まれた屋敷として知られている アメリカ大使館は明治23(1890)年に日本と賃貸借契約を締結して以来、ずっとこの場所にある
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◆山口筑前守上屋敷・石川又四郎邸跡(アメリカ大使館)◆
所 在 地 港区赤坂1-10
交 通 東京メトロ日比谷線神谷町駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅より徒歩4分
南北線六本木1丁目駅より徒歩5分
日比谷線神谷町駅より徒歩6分
銀座線虎ノ門駅より徒歩6分
◆松平肥前守中屋敷跡(国立印刷局・共同通信会館)◆
アメリカ大使館前の交差点の右手には、国立印刷局虎ノ門工場や共同通信会館などが見えます。江戸時代は、松平肥前守(肥前佐賀藩)の中屋敷でした。天保時代の藩主は鍋島斉正(なりまさ)で、幕末期には西洋軍事技術の導入を図りアームストロング砲や西洋式大砲を自藩で製造したほか、蒸気機関や蒸気船の製造までしようとしていたとか。道路を挟んで左手にある日本財団ビルのあたりには、溜池に面して馬場が広がっていました。
汐見坂に面して建つ国立印刷局ビル(松平肥前守の中屋敷跡) 共同通信社分室、ジェトロなどの多くのテナントが入っている共同通信会館(松平肥前守の中屋敷跡) 日本財団ビルの建つあたりは松平肥前守の馬場が広がり、乗馬の鍛錬場や弓の稽古場などあった
汐見坂に面して建つ国立印刷局ビル(松平肥前守の中屋敷跡) 共同通信社分室、ジェトロなどの多くのテナントが入っている共同通信会館(松平肥前守の中屋敷跡) 日本財団ビルの建つあたりは松平肥前守の馬場が広がり、乗馬の鍛錬場や弓の稽古場などあった
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◆松平肥前守中屋敷跡(国立印刷局・共同通信会館)◆
所 在 地 港区虎ノ門2-2、赤坂1-2
交 通 東京メトロ銀座線・南北線溜池山王駅より徒歩4分
南北線六本木1丁目駅より徒歩5分
銀座線虎ノ門駅より徒歩5分
日比谷線神谷町駅より徒歩6分
◆御用屋敷跡(虎ノ門1丁目〜西新橋1丁目)◆
外堀通りを虎ノ門方面へ歩き、虎ノ門交差点へ。TOTOビルから新日本石油ビルの手前あたりまでの外堀通り沿いは、かつて虎ノ門外御用屋敷がありました。「御用」とは“隠密御用”のことで、それに携わる人たちは「御庭番」と呼ばれていました。8代将軍・吉宗が創設した公儀隠密組織といわれ、日本橋の浜町に御庭番の組屋敷があり、普段の住居としてこの虎ノ門外御用屋敷のほか、桜田御用屋敷など4カ所に分かれて暮らしていました。
虎ノ門交差点からTOTOビルなど高層ビルが続く外堀通りを見る。左手一帯はかつて御用屋敷が連なり、江戸三美人の一人・笠森お仙が御庭番の夫ともに暮らしていたという 新橋方向から見た外堀通り。虎ノ門外御用屋敷は、通り沿いに細長く続いていた。御庭番は秘密保持のために代々世襲制がとられ、結婚も御庭番の家柄同士しか認められなかったという
虎ノ門交差点からTOTOビルなど高層ビルが続く外堀通りを見る。左手一帯はかつて御用屋敷が連なり、江戸三美人の一人・笠森お仙が御庭番の夫ともに暮らしていたという 新橋方向から見た外堀通り。虎ノ門外御用屋敷は、通り沿いに細長く続いていた。御庭番は秘密保持のために代々世襲制がとられ、結婚も御庭番の家柄同士しか認められなかったという
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◆御用屋敷跡(虎ノ門1丁目〜西新橋1丁目)◆
所 在 地 港区虎ノ門1丁目〜西新橋1丁目あたり
交 通 東京メトロ銀座線虎ノ門駅、都営三田線内幸町駅そば
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