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| JR田町駅から徳川家菩提寺である増上寺付近までを巡ってみましょう。まずはJR田町駅の三田口から正面に見える慶応通り振興会のアーチ看板をくぐり、慶応仲通りに入ります。このあたりも「忠臣蔵」ゆかりの地です。 |
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| この地域は江戸時代、三河岡崎藩・水野家の中屋敷があったところ。元禄時代の当主は、江戸幕府の老中・水野忠之(監物)で、浅野内匠頭の刃傷事件の際、忠之は騒動の取り鎮めに奔走しました。吉良邸討ち入り後も、神崎与五郎、矢頭右衛門七(やとうえもしち)ら赤穂浪士9人をこの中屋敷に預かり、水野家では「義士」として丁重に扱ったといわれています。 |
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| JR田町駅の三田口。江戸時代はその大半が江戸湾の上だった |
慶応仲通りの一角にひっそりと佇む「水野監物邸跡」の案内板。植え込みに築地塀、石灯籠が設けられている。この地で神崎与五郎ら赤穂義士9人が切腹した
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆水野監物邸跡(慶応仲通り)◆ |
| 所在地 |
港区芝5-20-20 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩2分、都営浅草線三田駅より徒歩1分 |
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| 慶応仲通りから第一京浜に戻り、銀座・日本橋方面に進み、芝5丁目交差点へ。右手の第一田町ビルのあたりは、江戸時代は松平(島津)薩摩藩所有の蔵屋敷でした。慶応4(1868)年3月14日、幕府の陸軍総裁・勝海舟がこの蔵屋敷に西郷隆盛を訪ね、江戸開城に向けて最終交渉を行いました。江戸城総攻撃の血気にはやる新政府軍を抑え、江戸の街を戦火から救う貴重な会見の場となった地です。 |
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| 第一田町ビルの前にある、西郷吉之助(西郷隆盛の孫)が揮毫した「江戸開城 西郷南洲・勝海舟会見之地」の石碑 |
現在は商業地となっている薩摩藩所有の蔵屋敷跡。JR田町駅からこの一帯は、そのほとんどが江戸湾で、わずかにこの蔵屋敷などが海岸沿いにあった |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆薩摩蔵屋敷跡(JR田町駅・第一田町ビル)◆ |
| 所在地 |
港区芝5-33-8 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩1分、都営浅草線三田駅より徒歩1分 |
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| 第一田町ビルを右折し、鹿嶋神社の脇を抜けて区立本芝公園へ。この一帯はかつて「芝濱」と呼ばれ、この場所には「雑魚場(ざこば)」と呼ばれる魚市場がありました。目の前には海が開け、水揚げされた魚は「芝肴(しばざかな)」と称せられ(いまで言う「江戸前」のこと)、江戸の人々に賞味されました。3代目桂三木助が得意とした落語の人情噺「芝濱」を聴くと、この雑魚場や江戸湾東岸の情景が鮮やかに蘇ってきます。 |
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| JR山手線のガード手前にある、かつて雑魚場だった場所を示す舟型のオブジェ。舟を漕ぐ櫂(かい)やモリなどの漁労具が彫られている |
本芝公園のそばにある雑魚場架道橋。このあたりは天保版の「御江戸大絵図」では「砂濱」とだけ表記され、その雑魚場も後に日本橋に移転した |
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| ◆雑魚場(区立本芝公園)◆ |
| 所在地 |
港区芝4-15-1 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩3分、都営浅草線三田駅より徒歩2分 |
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| ◆薩摩藩上屋敷跡(日本電気本社・セレスティンホテル)◆ |
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| 第一京浜に戻り、日比谷通りを芝公園方面へ。左手に日本電気本社ビル、セレスティンホテル、右手に戸板女子短期大学が見えてきます。この一帯は、松平(島津)薩摩藩の広大な上屋敷が広がっていた地です。慶応3(1867)年、戊辰戦争の発端となった「薩摩藩邸焼き討ち事件」が勃発し、屋敷は全焼。跡地は「薩摩ッ原」と呼ばれました。明治に下ると、いまの農事試験場にあたる「三田勧業局育種場」の一部となり、競馬も行われていたとか。 |
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| 日本電気本社前にある薩摩藩屋敷跡の記念碑。薩摩藩邸焼き討ち事件では幕府の諸藩2,000人が藩邸を襲撃した |
薩摩藩邸の名残を伝える「芝さつまの道」。セレスティンホテル裏手のオープンスペースにある。大藩の薩摩藩は江戸に7カ所(時代によっては9カ所)の屋敷があった |
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| ◆薩摩藩上屋敷跡(日本電気本社・セレスティンホテル)◆ |
| 所在地 |
港区芝2丁目、3丁目 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩4分、都営浅草線三田駅より徒歩3分 |
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| 芝3丁目の交差点を第一京浜方面に向かい、一つ目の信号を左折。やがて右手にお蕎麦屋さんの看板が目に入ります。十字路を左に曲がると、西應寺と「みなと幼稚園」が一緒になっていて、正門左の黒い鉄扉を入ると「オランダ公使宿館跡」の石碑が建っています。西應寺には幕末の日蘭修好通商条約により最初のオランダ公使宿館が置かれましたが、薩摩藩邸焼き討ちの際に西應寺とともに類焼しました。現在の建物は再建されたものです。 |
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| みなと幼稚園のなかにある「オランダ公使宿館跡」の碑。西應寺は鎌倉時代末期に建てられた由緒ある名刹 |
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| ◆西應寺(オランダ公使宿館跡)◆ |
| 所在地 |
港区芝2-25-6 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩10分、都営三田線三田駅より徒歩5分 |
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| お蕎麦屋さんの辻を直進し、第一京浜に出ます。左折して再び銀座・日本橋方面に向かい、金杉橋南交差点へ。金杉橋は高速道路下の古川に架かる橋で、泉岳寺に向かう赤穂義士が渡った橋と伝えられています。かつての東海道に架かる金杉橋は江戸時代の交通の要所で、池波正太郎の人気小説「鬼平犯科帳」にもしばしば登場。この橋詰めからは、八丈島など遠島処分に決まった罪人を乗せた「流人舟」が出ていたそうです。 |
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| 金杉橋南交差点から浜松町方面を望む。金杉橋は首都高速の高架下にある |
金杉橋のたもとには、現在も多くの屋形船が見られる。「流人舟」は金杉橋と隅田川の永代橋、万年橋際から出されていたという |
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| ◆金杉橋◆ |
| 所 在 地 |
港区芝1丁目・2丁目、芝公園2丁目、浜松町2丁目 |
| 交 通 |
JR田町駅より徒歩15分 都営浅草線大門駅・三田線芝公園駅より徒歩5分 |
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| 金杉橋を渡り、首都高速に沿って東京タワーを目指しましょう。芝公園福祉会館の脇を抜け、日比谷通りに出ると芝公園。右手に増上寺の「三解脱門」が見えます。いまでこそ増上寺は芝公園の一角にすぎませんが、慶長3(1598)年に江戸城拡張に伴い、増上寺がこの地に移ってきたときは広大な寺領を誇っていました。東は芝大神宮あたりから西は東京タワーの前ぐらいまで。また南は古川近く、北は御成門小学校そばまであったそうです。 |
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| 国の重要文化財に指定されている増上寺「三解脱門」 |
日比谷通りを渡ってしばらく進むとザ・プリンスパークタワー東京がそびえている。江戸時代はここも増上寺の境内で、南廟があった |
増上寺の本堂。境内の廟堂には2代将軍秀忠をはじめ徳川6代の将軍や皇女和宮も眠っている |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆増上寺◆ |
| 所在地 |
港区芝公園4-7-35 |
| 交 通 |
都営三田線御成門駅より徒歩3分
都営浅草線・大江戸線大門駅より徒歩5分
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| 東京タワーに到着すると、東京タワービル(フットタウン)があり、通りを挟んだ正面に金地院(こんちいん)があります。徳川家康に仕えた僧侶・金地院崇伝(すうでん)が建立した禅寺で、東京タワーの敷地も江戸時代は金地院の境内でした。崇伝は諸法度の制定にも参画した「黒衣の宰相」と称され、晩年は「寺大名」と呼ばれるほど権力があったと伝えられています。 |
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| 桜田通りから東京タワーを見上げる。フットタウンには水族館や蝋人形館などが入っている |
金地院崇伝が建立した禅寺・金地院。東京タワーの敷地も江戸時代は金地院の境内だった |
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| ◆東京タワー◆ |
| 所在地 |
港区芝公園4-2-8 |
| 交 通 |
JR浜松町駅北口より徒歩15分
都営大江戸線赤羽橋駅赤羽橋口より徒歩5分
都営三田線御成門駅A1出口より徒歩6分
東京メトロ日比谷線神谷町駅1出口より徒歩7分
都営浅草線大門駅A6出口より徒歩10分
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