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| まずは江戸の玄関口・品川宿の近くJR品川駅から、大名屋敷が連なっていた高輪・三田エリアを巡りましょう。JR品川駅高輪口を出ると、目の前にホテルパシフィック東京など多くの高層ビルがそびえています。 |
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| このあたりは、かつて有馬久留米藩や松平(島津)薩摩藩の広大な下屋敷があったところ。薩摩藩といえば、NHKの大河ドラマ「篤姫」で藩主の島津斉彬(なりあきら)が登場しますね。もっとも、斉彬公が住んでいた上屋敷は永田町にあったそうです。第一京浜を新橋方向に進むと、泉岳寺交差点に。現在の泉岳寺周辺は、学校やマンションなどが密集していますが、江戸時代は大仏如来寺長慶寺、國昌寺などの寺々で三方を囲まれていました。
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| ホテルパシフィック東京がある場所は、かつて薩摩藩の下屋敷だったところ。目の前には袖ヶ浦の海が迫っていた |
高輪2丁目交差点に保存されている高輪海岸の石垣石。平成7(1995)年の遺跡調査で発掘されたもの。江戸時代に高輪海岸に沿ってつくられた |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆泉岳寺◆ |
| 所在地 |
港区高輪2-11-1 |
| 交 通 |
都営浅草線泉岳寺駅より徒歩1分、JR品川駅より徒歩15分 |
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| 伊皿子交差点を左折すると右手に大木の茂る「高輪皇族邸(旧高松宮邸)」が見えてきます。この高輪皇族邸や周辺の都営住宅、高松中学校のあたりは、江戸時代は肥後熊本藩細川家の中屋敷でした。吉良邸討ち入りを果たした赤穂義士のうち大石内蔵助ら17人が預けられ、後に切腹をした屋敷です。都営高輪一丁目アパートの手前の道を右に入り100mほど進むと、左手に「大石良雄ほか十六人忠烈の跡」に続く小道があるので、ぜひ立ち寄りましょう。
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| 高輪皇族邸(旧高松宮邸)とその周辺は、かつて肥後熊本藩・細川越中守の中屋敷だった。ちなみに細川家18代当主は、総理大臣を務めた細川護熙(もりひろ)氏 |
大石内蔵助ほか16人が切腹した場所。門の脇には切腹した17人の氏名が記されている |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆細川越中守中屋敷跡(高輪皇族邸)◆ |
| 所在地 |
港区高輪1丁目14、15番地 |
| 交 通 |
都営浅草線泉岳寺駅より徒歩7分
都営三田線・東京メトロ南北線白金高輪駅より徒歩10分
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| ◆黒鍬組屋敷跡(NBFプラチナタワー・白金タワー)◆ |
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| 魚籃坂下交差点を桜田通りに左折すると、右手一帯はかつての黒鍬組(くろくわぐみ)の屋敷。黒鍬組は、時代小説やテレビドラマでは隠密集団として有名で「お庭番」と言われました。黒鍬組屋敷は広大で、白金1、3丁目の一帯に細長く延びていていました。白金1丁目交差点を大通りにそって右折すると、左手にNBFプラチナタワーや白金タワーがそびえていますが、ここも黒鍬組屋敷の一部でした。 |
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| 一際目をひくNBFプラチナタワー。徳川のお庭番・黒鍬組の屋敷跡。黒鍬組の屋敷は小石川や深川など各所にあって、年代によって移転も多いようだ |
白金タワーの敷地も黒鍬組屋敷跡。黒鍬組は元々徳川家康の戦闘工兵部隊。若年寄の支配下にあり、城内の雑務雑用のほか、登城する大名の交通整理などの任も務めた |
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| ※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆黒鍬組屋敷跡(NBFプラチナタワー・白金タワー)◆ |
| 所在地 |
港区高輪1丁目、白金1・3丁目 |
| 交 通 |
都営三田線・東京メトロ南北線白金高輪駅よりすぐ |
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| ひらがな表記の「魚らん坂下交差点」を右折し、再び桜田通りへ。次の魚籃坂下交差点を左折すると、右手の三田4丁目界隈には多くの神社仏閣が点在しています。古地図を見ても江戸時代から多くの神社仏閣があった様子。やがて幽霊坂の道標があり、「御化粧延命地蔵尊」で有名な玉鳳寺もこの一角に。三田4丁目交差点を右折すると、左は慶應義塾大学三田キャンパス。かつて肥前島原藩の松平主殿頭(とのものかみ)の中屋敷でした。 |
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| “美肌成就”の「おしろい地蔵」として有名な玉鳳寺の「御化粧延命地蔵尊」。地蔵前には白粉や化粧道具がたくさん並べられている |
福沢諭吉によって開塾された慶應義塾大学は、安政5(1858)年に築地鉄砲洲(中央区明石)に置かれ、その後明治4(1871)年に芝新銭座(港区浜松町)から現在地に移転した |
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| ◆松平主殿頭中屋敷(慶應義塾大学)◆ |
| 所在地 |
港区三田2-15-45 |
| 交 通 |
都営浅草線・三田線三田駅より徒歩7分
JR田町駅より徒歩8分、都営大江戸線赤羽橋駅より徒歩8分
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| 慶大正門から桜田通りを少し戻り、ハンガリー大使館の前を進むと綱坂にかかります。この一帯には、松平肥後守の下屋敷(現・三田綱町パークマンション)、島津淡路守の上屋敷(現・綱町三井倶楽部)、会津藩松平家の下屋敷(現・オーストラリア大使館)、そして、大石内蔵助の長子・主税(ちから)ら10人が預けられ、後に切腹した松平隠岐守の中屋敷(現・イタリア大使館)などの大名屋敷が連なっていました。 |
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| 築地塀に囲まれた白い建物は三田綱町パークマンション(松平肥後守下屋敷跡)。奥に綱町三井倶楽部があるが、高い塀と屋敷木に遮られて見えない |
イタリア大使館。松平隠岐守中屋敷跡で、大石主税ら10人が切腹した場所。現在は大使館内のため見学はできない。大使館の建物手前の庭園や池は往時のままと伝えられている |
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| ◆松平隠岐守中屋敷(イタリア大使館)◆ |
| 所在地 |
港区三田2-5-4 |
| 交 通 |
都営大江戸線赤羽橋駅より徒歩8分 都営浅草線・三田線三田駅より徒歩13分
JR田町駅より徒歩15分
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| 桜田通りに出て南下し、第一京浜の札の辻交差点を目指しましょう。江戸時代初めに高札場のあった辻で、いまもこの名称が残っています。ここは東海道の江戸御府内との境で、元和2(1616)年に芝口門を建て、江戸への正面入り口としました。この門は「日暮御門(ひぐらしのごもん)」とも呼ばれ、名前の由来は当時、門の東はすぐ海で、そこから房総の山々が一望でき、日暮まで眺めていても飽きないほど景色が見事だったからだそうです。 |
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| 札の辻には江戸時代の高札場があった。幕府などお上のお触れ書き(法令、規制)を木の札で掲示した場所。そばに刑場があり市中引き回しの上、火炙りの極刑も行われたという |
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| ◆札の辻◆ |
| 所在地 |
港区芝5-29-16 |
| 交 通 |
都営浅草線・三田線三田駅より徒歩3分、JR田町駅より徒歩4分 |
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| 札の辻交差点を右折し第一京浜を下ると、道路を挟んで都営浅草線泉岳寺駅のA3出口の正面に、高輪大木戸跡の石垣が残っています。現在は道路の片側の石垣しか残っていませんが、本来は両側に柵や門がついていました。東海道品川宿から江戸御府内の入り口として、享保9(1724)年に芝口門から移され (築造年には諸説ある)、江戸御府内への出入りを監視。江戸時代は犯罪者の逃亡防止や治安維持のため、各町の境ごとに木戸がありました。 |
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| 高輪大木戸跡。「入り鉄砲に出女」と言われたように、御府内への鉄砲流入と国元へ逃げ帰る幕府の人質ともいえる大名の息女に対する取り調べは相当厳しかったという |
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| ◆高輪大木戸跡◆ |
| 所在地 |
港区高輪2-19-15 |
| 交 通 |
都営浅草線泉岳寺駅A3出口そば |
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