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| 港区の庭園 1/旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん) |
江戸時代、大名屋敷には美しい庭園が作られました。大名自身が庭を愛でて愉しむという目的だけでなく、時には将軍家や他大名との交流の場として多大な役割を担っていました。
ここ「旧芝離宮恩賜庭園」は、1678(延宝6) 年、四代将軍徳川家綱の老中、小田原藩主・大久保忠朝の上屋敷だった所で、現存する最も古い大名庭園のひとつです。
当時は「楽寿園(らくじゅえん)」と呼ばれていました。池の周囲を囲むように、ぐるりと遊歩道を作り、歩くにつれて変化する景色を愉しむ「回遊式泉水庭園」の代表格でもあります。
ここに屋敷を造るにあたり、小田原から庭師を呼び寄せた忠朝は、明暦時代の埋め立て地であるこの場所の特性を活かし、庭の中心に掘った大きな池に芝浦の海水を引き入れ、潮の満ち干きによる表情の変化を愉しむ「招き潮」という手法を取り入れました。その後、所有者は度々変わり、明治に入って有栖川宮家所有となった時に「芝離宮」となり、裕仁親王(後の昭和天皇)がご成婚された1924(大正13)
年に記念下賜され、現在の形となりました。1979(昭和54)年には、国の名勝にも指定されたほど美しい庭園です。 |
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| 入り口に立つ、木製の風雅な案内板 |
冬の時期は、木々も雪吊りでお化粧です |
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※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。 |
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| ◆雪見灯篭(とうろう)〜大山◆ |
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| 池のほとりに建つ大きな「雪見灯篭」。ここは園内一の景勝ポイントと言われています。その先にある砂浜は、かつて池の水に海水を引いていた時代に、潮の満ち引きを愉しんだ名残だそうです。右手には園内一の高台「大山」がこんもりと盛り上がっています。ここの頂に登れば、庭内の全景が見渡せます。 |
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| ◆枯滝(かれたき)〜石柱〜西湖堤(せいこつつみ)◆ |
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| 枯れ果てた滝を模した通路である「枯滝」(かれたき)の間を抜けると、左手に大きな石柱が四本建っています。石柱の由来は長らく謎だったそうですが、研究の末、相模の戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を、茶室の柱に使おうと運んできたことが判明しました。ここから庭園を見下ろすと、池の真中にある島に向かって、中国風な石造りの橋が架かっているのが見えました。この橋の名前は「西湖堤」(せいこつつみ)。水墨画に出てくるような美しい景色が観光地として人気を博している、中国杭州の景勝を真似て作られたのだそうです。「西湖堤」(せいこつつみ)を島に渡ってみましょう。 |
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| ◆中島〜九尺台◆ |
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| 池の真中にぽっかり浮かぶ「中島」。「西湖堤」(せいこつつみ)同様、この辺りは中国をテーマに作られているようで、島の中ほどにある石組は、仙人が住むとされる中国宝来山を表しています。池の水に海水を引いていた当時は、目の前に浮かぶ小さな「浮島」へ飛び石伝いに渡ることができたそうですが、今は鳥たちが悠々と「浮島」を独り占めしています。木橋を通って池の反対側に渡ると、右手に、その昔明治天皇が、漁業が行われている様子を観覧したという高台「九尺台」が見えてきます。残念ながら、かつて海が見えていた方向は団地になってしまいました。 |
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| ◆大島〜根府川山◆ |
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| 池の端に沿うようにある「大島」には、かつて熊野信仰の社が祀られており、先ほど見てきた「石柱」のある対岸へ橋が架けられていたのだそうです。大きな鯛の形をした「鯛橋」(たいばし)を渡ってすぐ目の前には、小田原・根府川の名をとった「根府川山」(ねぶかわやま)石群が。これは忠朝公が小田原から運んできたと言われています。 |
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| ◆海水取入口跡〜大灯篭◆ |
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| 途中にある石造りのダムのような建物は「海水取入口跡」で、干満で景色の変わる趣向を愉しむため、ここから海水を池の中に引いていたのです。その先には「手水鉢」同様、数々の災害を乗り越えて、今も残る大きな石灯籠が。さらさらと水の流れる音が爽やかな小池の脇を抜けると、「藤棚」が見えてきました。ここで一周です。 |
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| 約4万3千平方メートルという広大な敷地の中にある数々の見所だけでなく、様々な植物や、たくさんの水鳥、ゆったり泳ぐ魚たちなど、「旧芝離宮恩賜庭園」の中は、自然と文化、歴史が共存する豊かな世界が広がっています。 |
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ぐるりと一周周ったら、記念にスタンプはいかがでしょうか? |
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