観光モデルルートWelcome港区

都心のオアシス、みなと名園、庭園巡り

観光ルート

  1. 赤坂エリアを歩く
  2. 白金・高輪エリアを歩く
  3. 麻布・芝エリアを歩く
  4. 南青山・麻布・広尾エリアを歩く
  5. 芝浦・港南・台場エリアを歩く

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【3】麻布・芝エリアを歩く

麻布・芝エリアにも、公園はたくさんあります。地元の子供たちが遊ぶ小さな公園、歴史的見どころの多い広々とした公園、江戸時代から続く美しい庭園など、都会にいることを忘れてしまう憩いのスポットばかりです。今回は、【旧芝離宮恩賜庭園】へと歩いてみましょう。増上寺の前の通りを浜松町駅方面へ真っ直ぐ800mほど進むと、ほどなくして見えてきます。

【交通案内】
@【檜町公園】:東京メトロ日比谷線・都営大江戸線「六本木」駅より徒歩3分
A【東京都庭園美術館】:JR山手線「目黒」駅東口より徒歩7分/東急目黒線「目黒」駅正面口より徒歩7分/都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線「白金台」駅1番出口より徒歩6分
B【旧芝離宮恩賜庭園】:JR線「浜松町」駅より徒歩1分/都営大江戸線・浅草線「大門」駅より徒歩5分/新交通ゆりかもめ「竹芝」駅より徒歩10分
C【根津美術館庭園】:地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道」駅A5出口より徒歩8分
D【芝浦中央公園】:JR線「品川」駅東口より徒歩5分

ベストセレクトスポット
旧芝離宮恩賜庭園

東京に残る江戸初期の大名庭園の一つ
【旧芝離宮恩賜庭園】は、1678年から1686年に作庭されたと推定される、最も古い大名庭園のひとつです。江戸初期の典型的な回遊式泉水庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は非常に優れており、国の名勝指定を受けています。ここはもともと海面だったのが埋め立てられ、老中・大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に庭園を造らせ、「楽寿園」と命名しました。その後、幾人かの所有者を経たのち、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。1871年には有栖川宮家の所有となり、1875年に宮内省が買い上げ、その翌年に芝離宮となりました。関東大震災の際に被害を受けましたが、その翌年には皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市の所有となり復旧され、1924年から一般公開されています。


  • シンボルの雪見灯籠。池泉、緑と調和し趣のある風景が楽しめる

  • 中国杭州の西湖堤を模して造られた、西湖の堤

  • 園内一の高台、大山からの眺め。園内が一望できる景勝地だ

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

旧芝離宮恩賜庭園
所在地 港区海岸1-4-1
交通 JR線「浜松町」駅より徒歩1分/都営大江戸線・浅草線「大門」駅より徒歩5分/新交通ゆりかもめ「竹芝」駅より徒歩10分
TEL 03-3434-4029

周辺立ち寄りスポット
【芝公園】の古墳

都内で最大級の前方後円墳が見られる
明治6(1873)年に開園した【芝公園】は、日本で最も古い公園のひとつ。当初は、増上寺の境内を含んでいましたが、戦後の政教分離により除かれ、現在の状態になりました。園内には見どころも多く、都内で最大級の前方後円墳である「丸山古墳」があります。これは、明治時代の有名な人類学者で日本考古学会の草分け的な存在である、東京大学の「坪井正五郎」により発掘・調査されました。また、その東南斜面の丸山貝塚、伊能忠敬測地遺功表、万延元年遣米使節記念碑、ペルリ提督の像などがあります。


  • 丸山古墳は、全長110m、後円部径約64m、くびれ部分の幅22m

  • 発掘者・坪井正五郎の標識の石。「瓢形大古墳」と記されている

  • ペルリ提督の像は、日本開国百年記念祭挙行の際、東京都民からニューポート市に、石灯籠1基を贈った答礼として受けたもの

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

インフォメーション

芝公園
所在地 港区芝公園1-4丁目
交通 JR線「浜松町」駅より徒歩12分/都営三田線「芝公園」駅より徒歩2分/都営三田線「御成門」駅より徒歩2分/都営浅草線・大江戸線「大門」駅より徒歩5分/都営大江戸線「赤羽橋」駅より徒歩2分
TEL 03-3431-4359

道中路地裏プチコラム
浅岡飯炊きの井

この井戸の水を使って調理がされた
港区役所の庁舎前に「浅岡飯炊きの井」があります。江戸時代、この地には良源院(増上寺子院)があり、仙台伊達家の藩主等の増上寺参詣の際に仕度所として利用されていました。万治3(1660)年の伊達騒動の際に、母の浅岡の局が嗣子亀千代を毒殺から守ろうとこの井戸の水を汲んで調理したといいます。


  • 「浅岡飯炊きの井」。もともと旧庁舎中庭にあったものがここに移設された

※上記写真をクリックすると大きな写真が見れます。

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