討ち入り後に浪士二人が自首した、当時の大目付、仙石伯耆守邸の屋敷跡で、現在はニッショーホール(日本消防会館)が建っています。
大目付とは老中の配下にあって政務を監督し、諸大名の行動を監察する役目を担う役のこと。
主君の無念を晴らし、武士の本懐を遂げた四十七士が吉良邸から泉岳寺に向かう途中、大石の命を受けた吉田忠左衛門と富森助右衛門の二人が隊列を離脱。
別れた場所は現在の昭和通りの銀座口付近と、汐留シオサイトにそびえるカレッタ汐留付近との間に架かっていた「汐留橋」といわれています。
吉田、富森の二人は仙石邸に向かい、事の顛末を報告する「浅野内匠頭家来口上書」を持参して自訴し、討ち入りの裁決を幕府に委ねました。
その後、大石らも泉岳寺から仙石邸に駆けつけ、幕府の沙汰を待ったといいます。 |