討ち入り後に大石内蔵助、吉田忠左衛門、小野寺十内、原惣右衛門ら浪士
17人がお預けとなった肥後熊本藩細川家の下屋敷跡。大石らは大書院上の間の前庭で切腹したといわれ、その庭の一部が残っており、四方を塀に囲まれひっそりとたたずんでいます。
(庭内は非公開です。扉の隙間から覗くことができます。)
周囲は隣接する高松中学校や高松宮邸に茂る木々に覆われ、都心とは思えないほどの静けさが、この場所の厳粛な雰囲気を一層際立たせています。
当時の藩主・細川綱利(つなとし)は、総勢875人の大部隊を繰り出し、17人を引き受けに行きました。四十七士を預かった四家の中でその日のうちに引見したのは細川家だけでした。そして、自らが大石らをもてなし、手厚く優遇したといわれています。
忠烈の跡から 200mほど離れた場所には、旧細川邸にあったという巨大なシイの木が今も残っています。
高さ10.8m、幹の周囲8.1m、樹齢数百年といわれる巨木で、修復の跡があちらこちらに見られますが、浪士の忠烈を物語る証人としてこの地に深く根を下ろしています。
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