ホテルオークラと国立印刷局(旧財務省印刷局)の間にある幅10mほどのなだらかな坂です。その名の通り江戸時代中期以前まで、この坂から江戸前の海を望むことができたそうです。
ホテルオークラが建つ地には、かつて松平大和守邸、武蔵川越藩松平家上屋敷があり、そのため別名「大和坂」とも呼ばれていました。印刷局の場所には肥前佐賀藩鍋島家中屋敷がありました。
坂下にあるニッショーホール(日本消防会館)は、赤穂浪士が本懐を遂げた後、吉田忠左衛門と富森助右衛門の二人の浪士が討ち入りの顛末を報告する「浅野内匠頭家来口上書」を持参した大目付、仙石伯耆守(せんごくほうきのかみ)の屋敷があったところ。
大石内蔵助も討ち入り装束のまま、一時ここに預けられたといいます。現在、同場所には井戸跡のモニュメントがあります。 |