昭和16年、13才のとき、大工の父親の勧めで、研ぎ師に弟子入り。大東亜戦争の戦争需要で超多忙な親方の家に住み込み、籠谷砥石の位置直しをしながら腕を磨いた永井さん。以来65年、この道ひとすじの匠は港区内で唯一の刀剣研摩職人です。
「刀のさびを落とし、刃こぼれを引いて平にしていきます」
将校が腰にぶら下げている軍刀を研摩してきた永井さんは、終戦後、3年ほどの間に数百本と言う膨大な数の軍刀を磨きあげました。が、昭和26年、刀が登録制になってからは美術品としての刀に磨きをかけます。「短剣なら仕上げるのに3日ほど。刀だと、さびの状態にもよりますが、4〜5日かかります。一番の気苦労は最後の仕上げです」
仕上がった刀をおさめる袋を縫うのは奥様の役目。白い正絹や羽二重で作る事が多いのですが、「妻の帯や着物で袋を縫ってほしいと持ち込んできた軍人もいましたよ」と懐かしむ奥様。
今年、金婚式を迎える永井さんご夫婦。永井さんの刀剣研摩の歴史は、夫婦二人三脚の歴史とも言えます。
「この仕事は10年続けて、やっと一人前になれるかどうか。私の跡継ぎはいないです。若い人たちに10年修行しろといっても無理ですから仕方ないんでしょうね」
匠の世界はどこも後継者不足。弟子入りの志願者もさることながら、育てる側にしても、住み込ませ、食事や生活を共にするには体力が必要です。
「それでもまだ研ぎ師は全国に100人ほどいるのでいい方なんです。刀の鞘を作る鞘師は本当に数えるほどになってしまった」
父親の背中を見て育った息子さんは、高校受験に落ちたら研ぎ師になると言いだしましたが、無事、合格。永井さんの技を受け継ぐ人はいません。
「酒は嗜む程度」と笑う永井さん、若い頃は職人同士のつながりが強く、毎晩のように飲み歩いていたようです。
「二日酔いで刀を磨いてて、つい指を切ったなんてこと、しょっちゅうでしたよ(笑)」
作務衣(さむい)に足袋(たび)が作業服。マンションの一室を作業場にし、朝食後から作業に入り、昼食でリビングに戻る以外、夕方まで黙々と刀を磨く永井さん。
「目下の楽しみは夕飯どきの妻の晩酌ですね」
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