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芝の増上寺にほど近い瀟酒なマンションの一室に平井松葉さんの美術刀剣研磨の仕事場があります。その仕事場は、古来より受け継がれた匠の息づかいが聞こえてきそうな凛とした雰囲気を持っています。
「むかしから、この間どりで仕事をしています。まあ、今では限られたお客様の美術刀剣のみ仕事をさせていただいておりますが」と語る三代目となる平井さん。現在は、おもに後進の指導をされています。
平井さんは早くから、国宝級の刀剣の研師として知られた父親である二代目に入門、厳しい修行を通して刀剣研磨を研鑽しました。
「職人も大勢いましたが、仕事では師匠と弟子でした。親父は典型的な明治気質の男でしたから、それはもう厳しく仕込まれました。半端じゃなかった。砥石の選び方、目の荒いものから細かいものにしていくうちに変わっていく刀の表情。技術は体で覚えました」と平井さん。
やがて太平洋戦争が始まり、平井さんは召集され戦地へ。終戦後、無事に帰還しました。「東京は空襲で焼け野原だと聞いていたんですが、家まで戻ってみたんです。そうしたら、うちとお隣の2軒だけは、空襲からまぬがれて残っていた。当時、家から浜松町の駅まで何も遮るものがなくて、よく見えたのを覚えてますよ」
戦後には、国内の強制的な刀剣没収が実施されました。「名刀も駄刀も関係なく集められたんです。そんななか、刀剣の関係者らが日本の刀剣は伝統文化であり美術品に値するものだと、アメリカへ談判したんですよ。その結果、専門家が見て名刀に値するものだけを選別して戻してもらうことができた。私も当時は若輩でしたが、合格、不合格を選別する鑑定審査員としてお手伝いいたしました。」
以来、刀剣研磨に邁進してきた平井さん。刀剣研磨は、ただ磨いて輝かせるだけではなく、刀の持ち味を十二分に引き出すことであるといいます。理想的な研ぎができたときは至福であるとも。
「刀剣が美術品として位置付けられているのは日本だけなんです。それだけに、伝統文化として後世に伝えなければ」平井さんの熱い思いはこれからも続きます。
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